「荒療治」という単語を思いながら

朝ごはんに仙太郎。つぶあんおはぎ、きなこおはぎ、黒豆大福、みなづき。食べながら添えられた説明書(というのか、菓子エッセイが書かれた紙)を読むと、みなづきは氷に似せた外郎(ういろう)で、上にのせた小豆は魔除け(まめ=魔滅)の意味、などと書いてあった。魔除け。

家で仕事。

昼を買いにいくついでに、洗ってひらいた紙パックの束と洗った食品トレイの束の入った袋を持っていく。区の施設にある資源回収ボックスにそれらを出すためだ。

住んでる区は今春からプラスチックを資源として回収することになったので、あらゆる「プラ」マークのついた商品パッケージや、惣菜パックや弁当ガラなども洗って資源として出すことになった。最初はめんどくせーとしぶしぶ洗って仕分けていたのだが、そうやってプラスチックを捨てないことで可燃ごみに出す量がこれまでの半分近くまで少なくなったのを体験し、いろいろと心得た。そのエウレーカを経て、さらに可燃ごみの量をもっと減らせるのではないかと区の資源回収情報を確認したところ、牛乳パックと食品トレイは回収車は出していないが区のいくつかの施設に回収ボックスがあると確認する。散歩がてらに行けそうな場所にもひとつあった。

夫は1リットル紙パックのフルーツジュースをたくさん飲むので、あの紙パックが1日1本のペースでごみとして出ている我が家だ。今まではつぶして可燃ごみにしていたが、洗って切ってひらいてリサイクルにまわすと可燃ごみの量がまたぐっと減った。おなじく肉や魚のスチロールトレイも資源回収に出してみると、可燃ごみの量はさらにさらに減った。可燃ごみを集積場へ出しにいく夫も近頃のごみの袋の小ささに気づいて、それはプラや紙パックやトレイを資源回収にだすようになったからだと明かすと、夫も率先してプラやトレイを洗い、紙パックを切りひらくようになったのである。

紙パック束とトレイ束をそれぞれの回収ボックスへ入れ、そこから近くのセブンイレブンで銀座デリー監修のカシミールカレー、牛乳(紙パック)、無糖コーヒー(紙パック)を買う。ほんとうはエリックサウス監修のビリヤニを食べてみたかったのだが品切れだった。デリーのカシミールカレーも好きなので良い。会計時にエコバッグを出すと、バッグの絵柄を見た店員さんが「これミッキーですか? かわいいですね」と言ってくれた。15年ぐらい前に買った、文原聡×ディズニーコラボのエコバッグだ。このエコバッグはよく店員さんに「いいですね」と言及される。そのたびに、触れずにいられない古びない魅力があるのだなとすこし誇らしくなる。

カシミールカレーはカレーソースがスープのようにサラサラしており、これでしか味わえない強いからさだ。サラサラしているから口内にも喉にも胃にも、通る粘膜へすみやかにしみわたり、味覚以外でもからさをわからされる。「荒療治」という単語を思いながら食べる。

21時に仕事を終えると、帰宅していた夫がわたしのリクエストにこたえてオイルサーディンサラダうどんを作ってくれていた。シマダヤの流水麺に、缶オイルサーディンとレタスやきゅうりやトマトやネギや揚げ玉やワカメがざくざくと入っている。うまいうまい、この家には天才がいるぞと言って夢中で食べた。

ためた録画の中からBSフジ『霜降り明星のゴールデン☆80'S』の林哲司ゲストの回を見る。この番組は歌い手だけでなく作詞家・作曲家1人を呼んで1時間じっくり特集を組むのが贅沢で好きだ。人気者で忙しいであろう霜降り明星がBSでこういう渋い番組をつづけているところも、彼らへの好感をさらに増す。