伊集院光 日曜日の秘密基地

スペシャルウィークでリスナー参加型クイズを放送していたかたわら、ゲストコーナー『VIPルーム』も通常どおり放送。
ゲストは作家の五木寛之氏。

  • 初めて読みました

冒頭に伊集院さんが「今回お会いするのをきっかけに、実は初めて五木さんの作品を読みました」と素直に告白。伊集院さんいわく五木さんの本には"親父の本棚に並んでいた本"というイメージがあり、まだ実家にいた頃は堅物で学者肌な父親を理解できずにいたので"親父が読む本=自分には合わない本"として手に取らずにきてしまったそうだ。それにくわえて五木作品は『生きるヒント』をはじめとして哲学を思わせるようなタイトルがついているので、きっと内容も「人生というものはこういうものなのだ」と上からの説教をするように書いているのではないかと漠然と思い込んでいて、そういう学術的なことから離れて生きてきた身としては勝手に劣等感を抱いてしまっていた、と。


この気持ち、よくわかるなぁ。 私も子どもの頃に家の本棚で『生きるヒント』を見つけたときはそのタイトルから宗教めいた本だと思い込んでいたし、学生時代も仏教の授業で先生がよく五木寛之の言葉を例に出していたのを聞いてますます宗教方向との関連性を浮かべてしまい*1、本当に、今日のこの放送を聴くまでは正直に言えば"五木寛之"という名前に抵抗を感じていたぐらいだったもの。 こうして伊集院さんの番組に登場しなければ、この先何年後まで避け続けていただろう。


今回、新作『元気』を読んでみたという伊集院さん、その読みやすさには目からウロコが落ちる思いだったとか。 ずっと誤解してきたような説教くさいくだりはまったくなくて、むしろ「私はこういうふうに感じながら生きてきたけど、皆さんはどうですか」という問いかけで文がまとめられているので「ああ、俺もまだ迷うことがあるけど、大人たちも迷ってるんだ」と親しみが湧いてきたと言っていた。 ずっと「親父の考えてることがわからない」とつっぱねてきたけど、父親がこの五木作品を本棚に並べていたのかと思うと、自分と父親のあいだにひとつ共通点ができたような気がする、と。
伊集院さんの感想を聞いて五木さんも「活字中毒者に絶賛されるよりも伊集院さんのように食わず嫌いで本と距離を置いていた人に『面白い』と言われることのほうが物書き冥利に尽きる」と非常に喜んでいた。 そして「自分の作品は、もうある程度までは行き渡ってこれ以上読者層は広がらないと思っていたけど、まだまだ伊集院さんみたいに新しく見つけてくれる人がいるならがんばらなくちゃ」(五木)とも。はーい、私もこれから逢いにいきます。

  • 劣等感と全盛期

「学生の頃、大学構内では靴磨きをする学生と靴を磨かせる学生に分かれていて、自分は靴磨きをするほうだった」「自分は石原慎太郎と同じ生年月日だけど、23歳のときに彼が颯爽と作家デビュー*2しているのを見て、財産と才能を持ち合わせた彼に、憧れと疎外感がまざった言いようもない気持ちを抱いていた」などと思い返す五木さん。
それを受けて伊集院さんが「僕も清原選手と同じ学年なんです」といって「自分は高校生の頃に落語の世界に入ったのだけど、ある日師匠の家で猫の糞の始末をしているときにテレビから清原選手の新人王のインタビューが流れてきたのを見て『同い年なのに、俺は何をやってるんだ』と彼への憧れとか妬み嫉みとか自分への怒りとかいろいろ感じた」と少し興奮気味に話していた。それに対する五木さんの相槌が、気のせいか親のように優しい。


それにしても伊集院さんはこうやって自分が抱いてきた劣等感を素直に話せるからすごい。しかもそれを話すときはけして悲観的でなく、「若い頃の話だから」と過去の話にもせず、「悔しかったから僕もがんばりました」と美化もしないので、私みたいに社会のすみっこで生きている人間でも「白か黒しかないわけではないんだ」と救われた気持ちになる。 だからといって伊集院さんの水面下での努力は並大抵なものではないから、伊集院さんの言葉に勘違いしてダメな自分を許してはいけないのだけど。


そんな話をしながらも、五木さんたちが構成作家を始めた頃はちょうどラジオの全盛期を迎えていて、とにかくラジオ番組にはお金をふんだんにかけていたと景気のいい話も。SEに使う霧笛の音を録りに、わざわざロンドンまで行っていたそうだ。
発想が貧困で恥ずかしいけど、ちょっと今のめちゃイケトリビアの泉みたいだなぁ(笑)。いや、それ以上かな? まだテレビがなくて、メインのメディアとしてみんながラジオの前に集まっていた時代だから、めいっぱいお金が使えたんだね。

  • 情報と体験

そのほかにも五木さんは「昔の不景気時の日本は人々がストライキだなんだと暴れるエネルギーに溢れていたけど、今の人はおとなしいねぇ」と話し、それに対して伊集院さんが「僕らは情報として『昔の人々は闘ったらしい』『でも結局どうにもならなかったらしい』と知ったつもりになっていて、動いてもしょうがないと思ってるからかしら」と答えていたり、「最近の人は死に対しても正面から向かう機会がない」という話題から「僕らの時代は、身内の人間が死んだら家族が揃って死に水を取ったり遺体を拭いたりしていたし、背の高い人は棺桶に入りきらないからって体を折り曲げて入れたりしたんだよね。そのとき骨がポキポキとなるんだけど・・・」と笑いながら話す五木さんを前に伊集院さんは「僕はまだ人の死を情報としてしか知らないから、いま五木さんがそんな笑顔で死の話をしているのが、実は少し怖い」と打ち明けてたりしていて興味深い会話が続いた。


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ほんの30分の会話だったけど、とにかく五木さんの話題の提示も、対する伊集院さんの展開も非常に濃くて深くて、その様子をうまく文にまとめられない己の表現力の乏しさがもどかしい。
でもこの放送で五木さんが伊集院さんの味方だとわかったので(笑)とにかく1冊手に取ってみよう。
私はとにかく視野が狭くて、本も新聞もろくに読まないしテレビ番組も録画で見てばかりだからCMも飛ばしてしまうしドキュメンタリーも音楽番組もドラマも苦手で、本当に世の中のことを何も知らない。 そういう自分と世の中を、かろうじてつなげてくれているのが伊集院さんの番組なので、この『VIPルーム』で伊集院さんと話が盛り上がったゲストは必然的に「味方だ!」と思ってしまうのね。 そこまで短絡的に共感するのも自分がなさすぎて良くないけど、今まであまりにも偏食的に生きてきたものだから、もう何もかもが新鮮で(笑)。先々週のゲストのドリカムにも今さら感動して「歌を聴いてみようかな」などと思っているぐらいだし。気付くの10年ぐらい遅いよ。


それと同じように、世の中の動きも伊集院さんが咀嚼してくれて初めて自分の頭に心に入ってくるしくみになっているので、この番組から『ニュースの秘密基地』のコーナーがなくなってしまったのは私にとってかなり痛いことなんですよ秘密基地スタッフの皆さん(訴)!



最後にもうひとつ。
五木さんの口調が私の母親のそれとよく似ていてとても聞きやすく感じた。 私の母親は山形出身なので、五木さんもそちらの出身なのかな、と思って母親に聞いてみたら、どうやら五木さんは平壌出身なのだそうだ。平壌と山形のその地域は北緯がほぼ同じで、互いの交流も多く、母の訛りもその朝鮮語の影響があるんだって。

*1:実際、仏教の考え方に基づいて書かれているそうですが

*2:太陽の季節』でデビュー