親知らず

「練習、足りてないって思ったでしょ?」
ツイードのスーツの女性が、少女の背中に手を添えながら乗ってきた。歳は40前後、1週間の疲れが顔に出ているようだった。金曜夜9時、埼京線は相変わらずぎゅうぎゅうに混んでいる。
「先生はなんて言ってた?来週も同じ曲やるって?」
ピアノ稽古帰りの母娘だろうか。
進捗を気にする母に娘は「練習した。たぶん来週で終われるから大丈夫」とぶっきらぼうに返した。娘の表情と体の大きさは、小学校高学年と思われる。
ふと娘は、手提げカバンに手を突っ込み 一冊の本を取り出して開いた。
本の背表紙が見える。 『ロッキン・ホース・バレリーナ/大槻ケンヂ
ロッキン・ホース・バレリーナ (ダ・ヴィンチブックス)


「・・・ミサちゃん、スイミング始めるんだって。あんたも行く?おんなじところがいいよね」 娘の機嫌をとるように母は、話題を変えた。娘は本を読みながら「んー」と返事を濁らせたまま、母との会話に戻ろうとしない。


電車は駅のホームへ。
妙に頼もしい気持ちで私は電車を降りた。