『ぼくは落ち着きがない』

ぼくは落ち着きがない

ぼくは落ち着きがない

久しぶりに夜更かしをしている。いつもなら気を失っている時間なのに、今日は起きている。興奮している。有のせいで。
ここのところ、心がじっとり汗ばむ日が続いた。それが季節の暑さの汗なのか、季節の焦りの汗なのかはわからないけれど。空が青ければ青いほど精神的な湿度は上がった。だから、しばらく自分の中で断(た)っていた長嶋有でも読んで、空気を入れ換えようと思った。
なぜ断っていたかというと、つい2ヶ月ほど前に惚れ込みだした長嶋有を勢いで続けて8作品*1読んでしまい、このまま読み進めばまもなく既刊の長嶋有をすべて読み終えてしまうことになる、と気づいたからだ。それで慌ててストップした。読み終えたらこの気持ちの行き場がなくなるんじゃないか。何かいろいろ間違えているが、とにかくそうして、少し先の私と有のために、今の私の有を断っていたわけだ。有断ちだ。恋はしててもだじゃれの我慢はできない。有断ちも、我慢できずに3週間で再開してしまった。
9冊目には『ぼくは落ち着きがない』を選んだ。
ところが、我慢できずに読みはじめた9冊目なのに、今回は、読みはじめて数日たってもなかなかページが進まない。本を開く時の自分がひどく疲れているとか、ともかく私が本に集中できない状態が続いていたのが原因だと思うのだけど。
今夜の帰りの電車でも、"バッグに入っているし、他にすることもないから"この本の続きを読むことにした(あんなに好きだった君なのに)。ところが本を取り出すとき、はらりとカバーがはがれて、その裏側の一部がちらりと見えたのだ。

中山望美は高校卒業後すぐに××した。

えっ?
中山望美とはこの本の主人公のことである。私が読んでいるページまでに限っては、望美はわりと淡々とした女子高生なのだが、え、彼女がどうしたって?
カバー裏には、いま読んでいる小説の中の彼らの「その後」が書かれているらしかった*2が、私が目にした一文の望美は、いま読んでいる世界の望美と、あまりにもスピードが違うふうに生きているようだったので驚いたのだ。そして次の瞬間、「この本編がいつかあのカバー裏につながる?」という期待が生まれると、途端に自分が前のめりになるのがわかった。ダイヤルが、いつものところに、カチッと、はまった。

感想

内容に触れます。
それまで非常に冷静で慎重に世の中を傍観してきた望美が、動かない頼子を前にして、冗談めかしながらも急にムキになって力いっぱい動かそうとしたとき、それを私は"ちゃんと"意外には思わなかった。それはそのシーンより前に、別の件で書かれた

本を初めからそこまで読むことで、同じ「時間」を経験しないと分からない、殴りかからざるをえなかった「苛々」が望美に手渡された

というのと同じしくみで私も望美のムキに納得できたのだと思う。
頼子のこと、周りはわかるって言うけど。そんなの嘘だ。子どものように真剣な力ずく(冷静で慎重な彼女の力ずく)に浮かぶ、寂しさや悔しさや体温。
私は嗚咽した。
力ずくでひっぱりながらも、頼子の腕の痛みを思い、噛まれたことに(相手もムキになってくれたと感じたのか)なぜか少し満足する望美。冷静に傍観していたときよりも、"ちゃんと対している"という感じがする。子どもじみた行為をくぐって彼女の成長に触れた気がした。
ところでこの作品は、私がこれまで読んだ長嶋有の小説の中で、もっとも著者の「いま言っておきたいこと」っぽさが強い。ストーリーを女子高生の見ている世界と思って読むからか、ト書きでの着眼点や表現力に「女子高生がそんなところまで考えが至るかな」と感じ、大人の男性である"長嶋有"の持論として浮き上がって見えた。その点でも(彼に恋している)私にとってはなかなか刺激的な作品であった。
それにしても、カバー裏ですよね。カバー裏でますます深まる頼子の謎。彼女のことだけ、他のメンバーと書かれ方が違うもんね。この、カバー裏からもこぼれる頼子の「その後」を知りたいと思うのは野暮なのかしらね。ただの柄(がら)のようにも見える、ぼんやりした文で始まっているしね。・・・と思いつつ、もしかしたら何かあるのでは、と、読後真っ先に「南出頼子」を検索したぼくは落ち着きがない。

*1:ブルボン小林名義も含め。『電化製品列伝』『猛スピードで母は (文春文庫)』『パラレル (文春文庫)』『泣かない女はいない (河出文庫)』『いろんな気持ちが本当の気持ち』『夕子ちゃんの近道』『ぐっとくる題名 (中公新書ラクレ)』『ジャージの二人 (集英社文庫)

*2:××にはもちろんちゃんとした日本語が入るのだが、「カバー裏は本を買った人へのサービス」という著者の意向にそって伏せておく