いとうせいこうさん

id:sahyaさんが、『ボタニカル・ライフ』を通して"いとうせいこう観"(id:sahya:20040720#p3)を書いていらっしゃったのを読んで、会社のすみっこで少々興奮気味の私だ。


せいこうさんのベランダー活動はその後も、毎週水曜日に新鮮報告されているのでぜひアンテナ登録しておこう。

私がこの連載を素晴らしいと思ったのは、せいこうさんがあくまで「ベランダー」としての自分しか書いていないというところ。
先日までの彼はたしか、空飛ぶ雲の上団五郎一座という、あれだけ壮大な公演を作り上げていたというのに、連載ではその近況に1ミリも触れていないのだ。 当時の彼の近況を無理して読み出すならば「第13回 枯れゆくスパルタ学園の新入生たち」にてかろうじて「俺は仕事でてんてこまいになり、自分のベランダの状況を把握しそこなっていた」と水やりを怠ったことを悔いている程度である。 あの一連の活動を「てんてこまい」の一句で終わらせるなんて潔すぎる。 一般的な表現者ならつい、ちなんで自身の仕事の宣伝や報告をしてしまいがちなのに。


しかし考えてみれば、天下のいとうせいこうが世の中でどんな偉業を成し遂げていようと、鉢の中の花たちにとって重要なのは、その日その日にもらえる水と日の光のことだけなんだった。素朴でか弱い花たちに翻弄されるいとうせいこう、という図がたまらなくおかしい。



それともうひとつ、sahyaさんも触れているのだけど、文中でせいこうさんは一人称に「俺」を用いていて、これが私のツボにはまって仕方がない。


私は22年間、性別を女として生きてきて、社会的立場や健康面においては多少の苦痛を強いられることもあるものの、それらを含めてもなお、女に生まれて良かったです、と両親へ三つ指ついて礼を言いたいほど女である人生を楽しんでいる。 生まれ変わったとしても断然、女を選びたいに決まっているさ。 だって花柄のワンピースなんて、女以外の生き物であれば、なにかしら言い訳をしないと着られないでしょう。胸元には細いリボンがついているんですのよ(よくほどけるんだコレが)。
しかしそんな中で唯一「男に生まれていれば・・・」と悔やまれてならないのが、一人称に「俺」を使えるということ。 この「俺」という言葉の響きの傲慢さ、自意識過剰な具合、アンオフィシャルでプライベートな匂い、遠吠え的な語感が羨ましくて仕方がない。 こうして文章を書くたびに「あぁ、ここで"俺"が使えれば・・・」と幾度もがいたことか。 じゃあ使えばいいじゃないか、ネカマでもなんでも装えばいいじゃないか、というご意見もあろう。 が、その種の男性がさまざまなリスクを抱えたうえでワンピースを着ているというのに、女の私が気安く「俺は俺は」などと書いてしまっては非常に申し訳ないことではないか。と、各位へ勝手に敬意を払って、震える指先で「watashi」と打ち込んでいるのであるよ。 先生、どうして男の子はスカートを穿かないんですか。


えーっと・・・なんの話をしようとしたのか・・・・・・そうそう、だからいとうせいこうのような、公の場でとても大きな意味を持っている人物が、小さな植木鉢に顔を近づけて「俺のダチュラが」とつぶやいているのかと思うとそれは実に窃視症の喜び。 花にしか見せない不器用な俺。でも不器用ながらに精一杯愛すから。 っかーっ!この色気がたまりませんな。



あ、あと、空雲一座を観終えてにわかに「せいこうさんラブ」と叫びだした私をいぶかしく思う方もいると思うのですけれども*1、何が私をラブモードにシフトとしたのかと考えてみたところ、それはあの溢れんばかりの才能でも、強い意気込みでもなく、やはり見た目だったのですよすみません全国のいとうせいこうファンの皆さん、こんな間違った方向からせいこうラブを叫んだりして。


空雲の舞台で知った、あの引き締まったボディ*2、細い足首、理論的なツッコミ、というより指摘、カーテンコールでも緩ませなかった口角、まばらになった前髪・・・・・・もう何もかもに心奪われて夏。
ともに空雲に酔い痴れた友人には「トレードマークのぴったり前髪もだんだん揃わなくなってきてるけど、それでもいいの?」と言われました。けど、いいんです!むしろそれが!枯れだした感じが!


せいこうさんを好きになってから過去の資料をいろいろたどっている日々、しかしね、30代までのせいこうさんの写真を見ると、どうもギラギラしていて目を逸らしたくなってしまうのよ。「俺、いろいろやってます」パワーにみなぎってるというか。  で、現在43歳のせいこうさん、まだまだいっそう精力的にいろいろな活躍を見せているのだけれど、若い頃に見えた気がした「俺!」主張がなくなって、妙に広く穏やかで「面白いものが面白くなりますように」みたいな、以前よりも一歩下がった位置でものごとを仕掛けているように見えるのね。 これは私の中のせいこうさんの印象が、ほぼ『虎の門』企画と直結しているせい? でも空雲一座を観ていても、俳優として魅せたあの素晴らしい七変化のかたわらで、個性的なあまり共通性を見つけるのが難しそうな脚本たちや俳優たちを見事に束ねて箱に詰めて差し出したあの指揮の取り方は、「俺!」主張の強いままではできないことだと思った次第。
だから私がうっとりしているのは、30代までの鋭く力強い表現活動で得てきたものを内に持ってる、穏やかな今のせいこうさん、の見た目なんですよ。



やっぱり人間、本当の魅力は四十からだよね。 だからウッチャンも、来たる40歳の大台に構えることないよ!
って、えぇっ?ウッチャンの話で終わるの?

*1:すごい自意識過剰

*2:隣にいたのが半裸の有田さんだったから、余計に締まって見えたんですよ