降参して上機嫌

いやー。帰りの電車でさ、角田光代の『愛がなんだ』を開いて読みはじめたのさ。そんで今、家。『愛がなんだ』、読み終わったんだけど、服着たまんま。腕時計もベルトもネックレスもしたまんまだよ。玄関のあかりもつけっぱなしだし、ていうか電車を降りてから家に着くまでも本閉じてないからね。歩きながら本読んだの、初めてだわ。
登場人物の異常なまでの情けなさにすっかり夢中になって、これはもう一度でも本閉じて一時(いっとき)でもこのばかな彼らのことを忘れるのはもったいないではないかと思って一気に読んでやった。そしたらさ!はーあ。ははは。
感想はまたあとで書くかもしれないけど、ほんと、角田光代を読むようになってから遅読の自分じゃ信じられないほど1冊を読み終えるペースが早くなっていることに気づく。たぶん文字を読み進める速度は変わってないはずなんで、夕飯も睡眠もあとまわしにして読まされてしまうみたいなのね。だって、サスペンス、いや、ホラーっていうのか?とにかくこわいんだよ、なんで私もそうすること知ってんのとか思うんよ、26年ばかりしか生きてないモノシラズな私にとってはさ。しかも作品の舞台の多くが地元ってこともあって、情けない主人公がウチの近所をとぼとぼと歩いてんだもん。腕時計はずしてベルト抜いて部屋着に着替えている場合ではないでしょう。なんでカノジョもカノジョも私みたいなのか?早く答えが知りたくて読み進むしかなかった。
そしたら本文が終わり、あとがきの島本理生が、わたしのナゼナニに対して非常に的確な回答を出していてさ、まいりました、っていう降参感が気持ち良くって今イキオイでこれ書いてるわけ。酔ってないよ。お酒飲んでない。夕飯すら食べてないもん。腕時計はずしたばっかりだもん。
今からラーメン作って食べようっと。発泡酒も飲みます。ほほほ。

愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

着替えたところで追記

いや↑のは読み切った興奮で書いたけどね、でも「なんで私もそうすること知ってんのとか思う」「なんでカノジョもカノジョも私みたいなのか?」ってのはちょっと調子良く言い過ぎだったと反省しているよ。この作品読んだことある人がこれ読んで「ビーガタとかいうの書いてるオンナこええ」とか思われたらアレなんで弁解しときます。
私は、なりふりかまわぬ情熱家でありたい一方、3日後の、3週間後の、3ヶ月後の自分が損していないかを3秒間だけ止まって考えようとするぐらいにはオトナですよ。3年後のことまではさすがに気が回りませんが。
だからテルコ(主人公)の純粋すぎる想いはホラーに感じた。だってもはや、自分が相手を好きかどうかもどうでもよくなってるあたりが、さあ。
ラーメンはいいけど冷蔵庫にキャベツしかなかったよ。