雑誌の人格

雑誌の人格

雑誌の人格

本屋にて、平積みされたこの本を手に取ろうとして、斜め波型裁断のオビに「豪気だ」と思う。評判を信じて中を見ずにすぐレジへ。
買って帰って急いでめくってみると、トビラから情報ぎっしりの目次。ちょっと待って、と本のカバーを剥がす。私の読書前のカバー剥がしは力仕事前の腕まくりのようなものだ。
カバーを剥がした本体は、大学ノートを模した表紙、背にテープ。裏には“寸法”、“PRINTED IN JAPAN”*1と細やかなノートごっこ。ニヤケる。イラストもノートのラクガキみたいで楽しい。
本の中身も、ノートだ。目次ページに罫線があり、各章のレイアウトはスクラップをあらわしているのではないか。手書きのような雑誌ロゴやページ数、斜めに横たわる大きな章題、各章4ページめにはみ出すイラスト(←これが一番驚いた)、蛍光色……。これってどれもノートの中の出来事だ。能町さんのイラストも、連載当初しばらくは紙の切り貼りらしきあとが見える。本編以外のページが再生紙っぽいところは雑誌だな。とにかく、触ったり眺めたりするだけでも相当な熱量を感じる。
さて内容だが、オビ文の「あらゆる雑誌ほめ殺し!」というのは半分当たっていて、半分は、そんな言い方しないでいいよと思った。殺してない。愛があり、たくさんの人を応援している。
この本を読む前の私の各誌へのイメージは、たとえば『小悪魔ageha』ちゃんは「今の私が楽しければどうでもいい」と刹那的で、『日経ウーマン』さんは「信頼できるのはお金と自分」と現実的……という程度だった。でもそれを能町さんは「そんなふうに決めつけて彼女たちを敬遠するのはもったいない」と教えてくれる。『小悪魔ageha』ちゃんは今の自分が置かれる現実と、展開していく未来を見据えている。『日経ウーマン』さんは本当は心細くて、だから有益な行動をとろうとするけど、それにくたびれてスピリチュアルなものに惹かれたりもする。読んでいくと、どの人も不安を抱えつつ、より良く生きようとしているには違いない、とシンプルなテーマが浮かんでくる。また、雑誌を購読する人は、そうでない人よりも自覚の有無に関わらずポリシーが明確になるんだなとも思う。
そう、どの《雑誌の人格》にもポリシーがある。《雑誌の人格》をそのまま人に置き換えて言ってもいい。どんな人も、より健やかに面白く生きたく、心の底から己を蔑ろにしている者などいない。
能町さんがTwitterで、少し前にこんなことを書いていた。

なんかこれ、能町さん、『雑誌の人格』の連載を続け、その反応を受けて感じたことなのかなと思った。
自嘲ブーム。観察眼の鋭い、言葉巧みな先人たちがとても面白く自嘲をしてきてみせたものだから、自分もそうすると面白くなる(=悩みが昇華される)んだろうと思って、私も必要以上に自分を卑下する癖がある。でもこれ、相手を困らせることなんだなと、自虐的な友人を前にして感じもしていた。とはいえ人がここまで自嘲しがちになったのは、無責任に他人を揶揄する態度が世の中にあふれているせいでもある。先日の『リーガルハイ』の整形離婚裁判の回でも、被告の女性が「自分の顔を好きでいたいのに、周りがこの顔で生きることを許してくれない」みたいなセリフがあって、これはいろんなコンプレックスにおいて言えるなあと思った。
能町さんの「自嘲ブームはまもなく終わる」は予言であり救いの言葉だ。終わると言われて、それでも私は自分を卑下することをやめないと思うが、「それがどうしたの」とマインドBが言うようになると思う。そして世の中も他人の生き方を安易に揶揄しなくなり、それもきっとしあわせと受け入れるようになるだろう。なるといいな。先駆けてそういう雰囲気をつくっていけるのは『雑誌の人格』を読んだ私たちだ。
豪華な装丁と愛あふれる読後感。クリスマスプレゼントとして、お歳暮として、だれかに贈りたくなる1冊でした。
それにしても能町さん、Twitterやラジオでの発言を見聞きするといつも締め切りに追われていて、その一方で勤勉な印象もあったので「なぜ地道を避けない人なのにそんなに追い詰められているのか」とつねづね不思議に思っていたが、あれだけ数多い連載の1つ1つがこの手の込みようだったら、そりゃあそうだろうなと合点がいきました。目にする連載どれも楽しみですが、お体壊しませんように。

ところで、

とある若い女性向けの雑誌の章でてれびのスキマさんの(かつての)アイコンらしきイラストが出てきたので「あーっ!」と嬉しくなりました。そのアイコンが並ぶ背景、やー、わかります、わかります。能町さんすごい。スキマさんもすごい。

*1:ツバメノートは“MADE IN JAPAN”ですよね