穂村弘『絶叫委員会』

絶叫委員会

絶叫委員会

私は最近「趣味で買った本は電車の中だけで読む」と決めているのだけど、これを読んでいる数日間の、電車に乗れる時間がなんと楽しみだったことか。通勤電車が、まあるいみどりの山手線であればいいのにとすら思った。実際、通勤には丸ノ内線を使っているが、かれの名前に丸の字はあれど、丸を描ききらずに終点を目指すかれを、野暮なメトロだとなじることもあった。
丸ノ内線が野暮だとか、本当はうそだ(むしろ丸ノ内線は粋なほうだ)。
この本のおもな内容は、あとがきにも書かれている“「偶然性による結果的ポエム」についての考察”。たとえば、文脈がわからないまま耳に入った言葉の強烈さに、歌人である著者が(大げさに)唸ってみせたり。
とりあげられる言葉には、飲食店や電車の中などで聞こえた他人の会話も多い。他人の会話といえば、私なんかも「シリーズ他人の会話」などと書き留めたことはある。しかしこの本は、そんなふうにオモシロ会話を「おかしいでしょウフウフ」と紹介して終わるだけではない。その会話や言葉じたいの“おもしろさ”の解釈を、“違和感”→“畏怖(怖れながら敬意も抱く)”とタダナラヌ空気でふくらまし、世界を不安にさせてくれるのだ。読むほどに、穂村弘製・ゆわんゆわんレンズの度数は上がる。小学生のじゃれあいが、最終的に“戦争と平和”や“宇宙”にまでひろがる章もあった。それを「さては穂村さん、匙を(宇宙にむかって)投げたな」「穂村さん、解脱しかけてる!」などと勝手に心配するのすら、おもしろかった。
私ははじめに「この本が読めるから、電車に乗るのが楽しみだった」と書いたが、これを電車で読むのはおすすめしない。読んでいる自分自身が、電車の中で意味不明にニヤニヤしている(たまに声を出して笑っている)ゆわんゆわん世界の人になっていたからだ。