おじさんは写真を全員に配るべきだったか

先週の日曜の夜8時ごろ、阿佐ヶ谷の居酒屋で友人とご飯を食べていた。
おっさん飲み屋が多い阿佐ヶ谷には珍しい、“隠れ家”的な洒落た店で、料理も飲み物も安くて旨く、店員もテキパキハツラツとしていた。我々は良い店を発見したと喜んでいた。


まもなくして我々から少し離れた席に、男性1人+女性7人というグループがわぁわぁとしゃべりながら入ってきた。8人の年齢は全員50代後半以降といったところか。
グループの男性は席に座る前から「生ビール4、生グレ4!とりあえず以上!」と威勢よく注文し、すぐにわぁわぁと話のつづきに戻ろうとしていたが、店員が「生グレ・・・?生・・・」と省略された注文に戸惑っていたので、「生グレープフーツサワー、ね。4つ」と面倒そうに言い直していた。伝わらない略称なんて二度手間なだけだ。


8人のわぁわぁは、はじめのうちは静かな店内をにぎやかにする程度だったので気にならなかった。
しかし、十数分経った頃、急に“生グレ”おじさんが怒鳴りだしたのだ。

「誰に配ろうと俺の勝手じゃないか!」

もともと静かな店だったので、おじさんの声に他の7人のおばさんが黙ったところで店から話し声が一瞬消えた。


おじさんはもう酒がまわっているようだった。自分の声量が調節できないまま怒鳴り続ける。

「集合写真みたいなちゃんとしたやつだったら俺だって全員に配るさ。でもあれは俺の個人的な趣味で撮ったんだよ。俺が何枚焼き増そうと誰に配ろうと全部、俺の趣味の範囲じゃないか」

するとおばさんの一人が答えた。

「あなたそういうもんじゃないわよ。誰かに配るなら、写ってる人全員に配らなきゃかわいそうでしょ」

その言葉に他のおばさんたちも「そう、かわいそうよねぇ」と続けた。


耳に入ってきた8人の話から察するに、状況はこういうことらしかった。

  • 彼ら8人は旅行サークルのようなもののメンバーの一部らしい
  • おじさんは前回の旅行で自分が撮った写真を、一部の人だけに配ったらしい
  • 同席しているおばさんの1人が、○○さん(ここにはいない人)の前で もらった写真を見ていたら、○○さんはもらっていないことがわかったらしい
  • その写真には○○さんも写っている

そういうことがあったのだ、と おばさんの1人がこの席でおじさんに「気まずい思いしたわよ、○○さんにもあげといてね」と軽く漏らしたのだが、それがおじさんの癇に障り、また酒も入っていたこともあって「俺の勝手じゃないか!」となったようだ。


8人のわぁわぁは一層大きくなり、“にぎやか”なんて陽気なものではなくなっていた。誇張なしで、そこから30分経っても彼らはまだ写真のことでわめいていた。

「それじゃあもう写真は一切禁止にすればいい。自由に撮れないなら撮っちゃいけないってなってたほうがマシだ」
「撮っちゃいけないとは言ってない。あげるならみんなにあげる、それだけのことでしょう。差別がいけないって言ってンの」
「差別じゃないだろう。あげたかった人にあげただけだ。あげたくない人を決めてたわけじゃない」
「事実、もらわなくて寂しい思いをした人がいたってことが問題なんだって」
「俺は写真係じゃない。撮りたいものを撮って、自分の金と手間で焼き増してるんだ。『誰々にもあげろ』と命令される筋合いはない」
「たとえば10人中3人だけに写真をあげるなら問題じゃないのよ。あなたがやったことはねぇ、10人中8人に配ったようなものなの」*1
「わけがわからない。人数や比率じゃないだろう。俺はあげたいと思った人のことを考えて配っただけだ」


男1対女7という態勢だったからか、おじさんの声は大きくなるばかり。 それに対しておばさんたちはずるく、誰かが何か意見を言うと続けて「そうそう」「良くない良くない」と相槌を打って“同意見多数”の体(てい)に丸めようとしている。そればかりか、熱くなっているおじさんとその左右前の席以外のおばさんたちは、空気を変えようとしているのか、もう写真の件には飽きていたのか、別の話題を始めている。


おじさんは納得しないまま話が終わっていくのが悔しいのか、何度も何度も「じゃあルールを決めよう。写真を撮った者は必ず、写っている者全員に配る。撮った者は必ずそうするんだぞ。それか写真は一切禁止か、そういうことだな!」と叫んでいたが、いつしか左右前の席のおばさんたちも、もうほとんど相手にしなくなっていた。


我々は、我々のあいだでの会話も特にないまま食事が終わり、会計に立った。レジのところまで「ルール!ルール!」という声が響いていた。



ルールは決まったのだろうか。

*1:具体的な数字をあげておきながら「〜のようなものなの」って、どういうことだろう。結局おじさんは何人中何人に配ったんだろうか