父はあとから淋しがる

2021/04/09 霜降り明星オールナイトニッポン

 フリートークせいやの妹さんの結婚式があり、これに粗品も石川家(せいやの家族)の一員として参加したという話。6歳下の妹が赤ん坊だった頃の記憶が蘇り、泣いてしまったとせいや粗品もなぜか泣いたらしい。式から来てくれてありがとうとせいや粗品をねぎらい、こちらこそ式から呼んでくれてありがとうと粗品せいやに感謝する。

せいや披露宴はじまって、僕もめっちゃ泣いて、粗品さんも(式につづいて)また泣いてくれて。で、俺は(その日)ずっとオトンを見ててん。このラジオで「奇人」と呼ばれている……
粗品はいはいはい。

 せいやのお父さんは不思議な感覚の持ち主らしい。たとえば、家族5人分のチャーハンを1人でぜんぶ食べてしまったり、義父がふるまう料理を「おいしい」といわずに黙々と食べたりなど、マイペースエピソードがいくつかラジオで話されてきた。そしてそんなせいや父の話を聞くたびに粗品がわざと失礼に(親しみをこめて)「奇人」と呼ぶ。

せいや粗品さんと俺がウワーッて泣いてて、オトンの顔見たら、オトン、一滴も泣いてなかったな。
粗品奇人やな~!(笑) これは奇人やで。
せいやカラッカラやった、目。まっすぐ見てました、バージンロード。
粗品娘が結婚してんのに?
せいや……って言うねんけど、オトンの名誉のために言うと、心ではめっちゃ泣いてたらしい。
粗品なんか、言うてはったなあ。ウソやろあれ。
せいや(笑)
粗品奇人やで。

 粗品も当日のせいや父の様子を話す。披露宴の歓談時間中、石川家の家族親戚はみんな高砂席付近につどってお客さんたちに挨拶をしており、さすがに粗品はそれには参加せず自席にいたが、せいや父も自席に残っていたという。行かなくていいのかと訊くと「もうええかなと思って」と答えたそうだ。

2021/04/11 NHK俳句

選者:鴇田智哉 / ゲスト:かもめんたる う大

菜の花や父はあとから淋しがる   野口沙魚

入選句のひとつ。

鴇田:家族の中でひとりひとりキャラクターのようなものがあると思うんですけれども、この作者から見てこの父は、あとから淋しがる、そういうキャラクターなのかなあと思って。「菜の花や」と象徴的に置かれていて、菜の花が明るい花であるだけにそれが秘めている淋しさみたいなものもあると思うんですよね。それをこの、父があとから淋しがる雰囲気を連れてきていて、人間味のある句だなと思いました。


う大:これはなんか、菜の花が満開のときにはお父さん、あんまり見てないんですけど、菜の花がとじたあとに「あれ、もう、咲いてないのかなあ」なんていう。いや、咲いてるときにもっと楽しんでよ、って。そういうお父さんの性格みたいなものが感じられて、自分は親近感を持ちました。


* * *


 これらふたつの「その場では反応しない(だけど遅れて思いがわきあがる)父親の姿」を見聞きして、自分の父親がひきおこした騒動を思い出した。

父はあとから食べたがる

 2015年11月のある平日の昼、実家から電話がかかってきた。出ると、母が困っている声で「東京駅でうなぎパイを買ってきてもらえないか」という。当時わたしは大手町に勤めており、東京駅は職場のすぐそばだった。しかし唐突なみやげの依頼である。理由を訊くと、父親がうなぎパイを食べたいといって怒鳴りちらしているのだという。うなぎパイという言葉はたのしげだが、父が怒鳴りちらしているのは穏やかでない。電話のむこうの母の声は涙がかっていて、私はやや深刻にうけとめた。
 少し前の父の様子を語る母の言葉を聞きながら、東京駅構内でうなぎパイを売っている店を調べる(「なんか、笑わないんだよね」)。だが、数年前にこのあたりでの扱いはなくなり、いま東京でうなぎパイを買えるのは池袋の西武百貨店だけらしかった。池袋だと、仕事終わりに買って阿佐ヶ谷の実家に届けるのはむずかしい。週末なら持っていけるかもと母に告げると、母は困った声のまま「わかった」といい、そもそもなぜ父がうなぎパイを食べたいと怒鳴っているのかを教えてくれた。

 父と母はその数日前に旅行していたそうだ。泊まった旅館のお茶請けにうなぎパイが2枚あった(ということは静岡に行ったのだろう)。それをふたりは宿では食べず、持ち帰ることにした。で、帰りの新幹線で母が、そのうなぎパイを出して食べはじめ、「お父さんも食べる?」ときくと「いらない」と言われた。母は、父がうなぎパイを好まないのかと思い、その場で2枚とも食べた。・・・・・・そのことを、今になって父が「俺は本当は、あのうなぎパイを家に帰ってから食べたかったんだ! なのにお前は俺のぶんまで食べやがって! 今すぐうなぎパイ買ってこい!」と急にわめきだしたのだという。
 そうやって癇癪を起こす父を、容易に思い浮かべることができた。父はふだんは寡黙だが、とつぜん些末なことで母を怒鳴る場面を何度も見ていたし、母は母で天真爛漫さに長けていて、爆発する父の気持ちがわかることもあったからだ。今回もきっとうなぎパイでわめきだす前段に何かあったんだろう。でも、そんなのをしょっちゅうくりかえしているはずの母がこうして電話をしてくるとはよっぽどのことだ(「なんか、笑わないんだよね」)。わたしは、うなぎパイはともかく両親に会っておこうと思い、その日の仕事帰りに父の好物である泉屋のクッキーを買って実家に向かった。
 半年ほどぶりに顔を見せた娘を父は愛想良く迎え、おおげさにクッキーを喜んだ。きっと母を困らせわたしが飛んできたとわかっていて、うしろめたかったのだろう。にこにこしている父の背後で、母はわたしにだけ見えるように般若の面みたいな顔をしたりヤレヤレ顔をしたりしていた。

 「うなぎパイ1枚で大騒ぎだよ」自分の家に帰って、夫(当時は結婚前)に顛末を話した。それはそれは、と夫はねぎらってくれた。わたしは、今日のばかばかしくて緊張した話をその日のうちに人に話せたのですっきりした。

 数日後、日帰り出張から帰ってきた夫が「これお父さんにおみやげ」と渡してきたのは、うなぎパイだった。なんと静岡にいってきたらしい。しかも種類のちがうのが3箱もある。それらを持って翌週末にわたしはまた実家に行った。このたびの騒動を知ったうえで買ってきてくれたうなぎパイだよと恩着せがましく伝えると、両親は恐縮しつつ「かわいい子だわー」と夫の厚意をうれしがった。その後お父さんどう?と母にこっそり訊く。「おかげさまで機嫌よくしてるわ。旅行から帰ってきてお父さんもわたしも疲れてたんだと思う。ありがとうね」

 夫はその後も、静岡に出張するたび「お父さんに」とうなぎパイを買ってくる。べつに父は特段うなぎパイが好きなわけではないし、夫もたぶんそれをわかってやっている。

* * *

 2021年3月のある金曜の夜、実家から電話がかかってきた。出ると、母が、それほど深刻ではない声色で、だがすまなそうに「八ツ橋を買ってきてもらえないか」。ここ数日、父が食べたがっているとのこと。今回は機嫌は悪くないそうだ。でも、自在に歩けなくなった80歳の父が欲するなら、なるべく食べさせたい。わたしはそばにいた夫の目を見ながら「お父さんが、八ツ橋を、食べたがっているのね。生八ツ橋ね」と電話むこうの母の言葉を復唱する。電話を切ると、夫はすでに新宿で生八ツ橋が買える店を調べていた。「わかるよ。あのニッキの感じが無性に食べたくなること、俺もある」とウフウフ笑っている。翌朝、夫は開店時間にあわせて家を出、4種の味の生八ツ橋を買ってきてくれた。