『オノウエさんの不在』(『ワーカーズ・ダイジェスト』所収)

ワーカーズ・ダイジェスト

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1時間ほどで読み終わった。短いし軽いけれど、よかった。こちらも会社員小説。
その職場では出身大学で会社の立場が決まる学閥というものがあり、主人公のサカマキはその学閥の対象ともならない大学の出身で、下請け会社から引き抜かれて中途入社したオノウエさんは高卒だった。オノウエさんは、その有能さにより学閥もものとせず異例の出世をし会社から頼られる存在だったが、ある時から休みがちに。と同じ頃、サカマキは同期のシカタから「オノウエさん、会社干されるってよ」と聞かされる*1
会社の理不尽さと、それを前にした苛立ちやあきらめが、わたし自身も経験のあることだらけで、弱く苦笑いしながら「そう、そう」と読んだ。オノウエさんの噂にサカマキたちは動揺し、状況を疑っている者ら3人でオノウエさん会議をひらくようになるが、3人とも若く、会社やオノウエさんに対してアクションをかけられる立場でも性格でもないので、ただただ些細な情報でその理不尽さの理不尽ぶりを色濃くしていくだけという。そうやって不毛な会議を重ねるうちにやがて結論が出る。

おれらはどうしてあんなに、待てば結果のわかることなのに必死になってオノウエさんの跡を追ってたんだろう、とサカマキが言うと、シカタは少し考えて答えた。
「だってそうするしかなかったからさ。ただもう行かせたくなかったのさ。なんていうか、お祈りをするような感じだった。そうしてれば、オノウエさんがそこにいてくれるんだと」

お祈りね。そうだな。
説明なく突然不在になった人がいたとして、それがどんな事情であれ(そしてその事情はたいてい楽しいことではないけれど)、とにかくその人の話題をすることで、自分らとその人がまだ続いているつもりになれるというのはすごく、よくわかる。かつてわたしも“ある人の突然の不在”にうろたえた側になったことがあるが、いなくなったその人の話題を、共通の友人らと答えも出せず何度も何度も話していたことが「お祈りをするよう」だと小説に言われて、すこしだけあの時のわたしたちを肯定された気になった。
祈りだけではない。サカマキたちのオノウエさん会議は、なにも起こさなかったけれど、何も生まなかったわけではない。それまでコミュニケーションすらとらなかった職場の3人が、話題は暗くとも社外で何度も集まったことで、近寄りがたかった女性のいれたお茶をうまいと思ったり、すこし軽蔑していた同期と終電まで他愛ない話をしたりできるようになったことは働くうえで、生きてくうえで、大きな財産だ。
サカマキは会社を辞めたいと何度も何度も思っていて、そのたびにオノウエさんに教わった気の持ち方でやりすごしてきた。唯一頼っていたオノウエさんがいなくなれば、自分もこの会社を見限ってやるかというと、それはオノウエさんから教わったこととは違う気がする。辞めるかあきらめるか、以外のやり方もある。そうやって勤め人は成長していくし、そうやって人は自分を築いていくんだな。

追記

ところでこの『オノウエさんの不在』にも、『ワーカーズ・ダイジェスト』にも、あとなにかもう1つ別の津村小説にも(『八番筋カウンシル』だっけかな?)酸辣麺が出てくる。なにか、ただラーメンと書くだけじゃない主張が感じられるのだけど単に津村さんが好きなだけかな。それとも関西ではおなじみの麺なのだろうか。
続けざまにこの文字見て、まんまと食べたくなって、食べました。

*1:そういうセリフが出てくるわけではない。いま思わずこの調子で書いてしまっただけです。ちなみに自分の頭にちらりと桐島がよぎって、だが不在の物語なんて珍しくないし、まったく無関係である。ということを自分に証明してさっぱりするために確認したところ、『オノウエさんの不在』は小説すばる2008年4月号掲載。『桐島、部活やめるってよ』は2009年の小説すばる新人賞だった。あ、どっちも小説すばる