- 作者: 津村記久子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/02/08
- メディア: 文庫
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津村さんの会社員小説の主人公は何かこう、いつも細やかに忙しく、報いの少ない人が多い。薄給で恋人もいないが、周りからすごく用を頼まれ、それを参った困ったと思いながら(口に出すことはせずに)引き受ける(引き受けるから、また頼られる)。器用貧乏というのか。それを読んでいる不器用貧乏で自己中心的なわたしは、薄給で恋人ができない点においては大いに仲間意識を持つけれど、この断らなさに毎度「立派だなあ(損な人だなあ)」と思ってしまう。その、損な人のてんやわんやが、申し訳ないが可笑しい。
ただ、わたしのジコチューを抜きにしても、この主人公のヨシノは冠婚葬祭に自ら翻弄されんとしているようにも見える。自分を呼ぶのが誰の結婚か、誰の死かであることに、じつはあまり重きを置いていなさそうで、それが彼女を損な人に仕立てているのかな、と。そう考えるのはわたしが今32歳だからなのかな。もしかしたら29歳ぐらいだと、社会人的行事の主担当が一気に降りかかってくる頃で、それに対する判断力がまだ身についていないのかもしれない*1。大切な友人の結婚式でさえも“召喚”と呼んでゲームのイベントに見立てる非礼さが、どこにでも駆けつけるヨシノだが善意だけではないらしいとわかって(てんやわんやも彼女が自分で引き起こしてることだと思えて)妙にホッとする。
また、「あなたに来てほしい」と呼ばれ重要な任務を負っていた友人の結婚式より、「社員だから来い」と呼ばれた上司の親の通夜を優先するあたりは、話をおもしろくするために主人公を思考停止させたのか、とも思ったが、ヨシノが端々で「通夜で粗相をしたら明日から会社でなんと言われるかわからない」と気にするのを見て、津村小説でおなじみの損気だなあ、と少し寂しくなった。この主人公も、早く職場を、人を、信じられるようになるといいな、と。
あちこちから駆り出され、目を白黒させて駆け回った末に、顔も名前も知らない人の葬儀で特にすることもないという強烈な虚無。それに加えて、食いっぱぐれつづきによる激しい空腹がまぬけにスリルを掻き立てる。空腹で気性が荒くなったヨシノが超人的な凄みを醸していろいろやらかすところにひたすら笑うのをこらえたし、いろいろ思いめぐらすところには、気づくと涙をこらえていた。損気の果ての喜劇の、なんと人間讃歌であることか。
駆けずり回った挙げ句なにも成し得なかったが、どうしてか、いい日だった。そういう日も人生を豊かにする。
あまりの使えなさに昼にはヨシノの腹を煮やした結婚式列席者の知人男性・ホンダさんも、同様、散々な日だったがいい日だったらしい。夜、葬儀場のヨシノに結婚式の引き出物を届けにきたホンダさんの言葉が、ヨシノの胃のあたりを、じわりと温めていたらといいなと思った。