『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』

 

タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

 

 

読んでいてなにしろ圧倒されたのは文献の数。そしてその数多の文献が、元からその章を、この本を成そうとしていたかのような紡ぎ方。ふむふむ、とおもしろく軽やかに読んで章の最後ページをひらくとずらり並ぶ参考文献一覧に、毎章「わあっ」と驚かされていた。

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2013年夏に樋口毅宏著『タモリ論』が出て、それを買って読んだとき、わたしは「しめた」と思った。あの本を読んだ人ならわかると思うが、なんというかそれは……「愛と勇気と、度胸と勢い!!!!」みたいな内容だった。漫画『動物のお医者さん』で、学生らがレポートの文字数を稼げず「おいしいカレーの作り方」だの「私の家族」だの「私の愛犬」だので埋めたレポートを採点するハメになる菅原教授、という回がある。それを思い出した。実情は知らないが、あの『タモリ論』というタイトル、著者本人は拒んでいたんじゃないか(そういう裏話をウソでもつけないと哀れだ)と心配になるほどだった。

で、何がしめたかというと、「これはてれびのスキマさんのタモリ本にむけていい起爆剤になったのでは!」と失礼ながらに思ったのである。何も事情を知らない、ただのスキマファンというだけの立場で。だってさ、スキマさんのブログ記事やTwitterでの発言を見かけるだけでも、この『タモリ論』の何倍も“タモリ”に詳しくておもしろいの知ってるんだもん。ファンとして自信あるから、と。出しなよスキマさん!と。強く思った。思ってただけで別にご本人に伝えたりはしなかった。しなかったけど、でもほのめかしたつもりではいました(知るかよ)。そしたら私なんかが虚空に向けてほのめかすまでもなく、スキマさんご本人はとっくにそれに取りかかっていたんですってね。ハズカスー。

タモリ論』がすごいのは、『いいとも』終了宣言がなされる3ヶ月前に出ているというところ。おそらく本当にその本は起爆剤になっていて、読者側として眺めている限りでは、各所で「俺らがもっとちゃんとしたタモリ本つくったる」と腕まくりをしているところに『いいとも』終了が言い渡され、結果、フィナーレをにぎわすようにタモリ本ラッシュが起こった、という印象だった。

ラッシュの中でてれびのスキマさんは、そのいずれかに寄稿もしていたが、あまりそれぞれのタモリ本について深く言及しないようにも見えた。それを妙に思っていたところに『タモリ学』発売の知らせ。しかも『いいとも』最終週に発売。しかもこのタイミングでハンドルネーム“てれびのスキマ”から本名“戸部田誠”へ。まるでそれまでの“タモリ”のイメージを一新すべく『笑っていいとも!』が“森田一義アワー”と冠して始まったかのように。やられた。超かっこいい。完全に真打登場のおもむきじゃないですか!

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あれだけヒトサマの書いたものを「おいしいカレーの作り方」みたいだったとか言ってたくせにわたしも『タモリ学』の感想と見せかけて長々自分語りしてしまった。本が出る前のわたしが何を思ってたとかほのめかしたつもりだったとか驚いたとか、いいんだよ。

そう。人は油断すると自分語りをしてしまうものだ。

だが『タモリ学』は最初から最後までに一貫して“私”が出てこない。関係者への取材とかもしてない。世の中に出た書物と放送された番組から得た情報だけを紡いで線に面に立体にしていっている。著者の“私”が出てこず、ごく自然に大量の情報がまとめられているので、まるで自分自身が直接タモリさんについて思って、知って、解いていくような感覚にもなる。そしてこの本を読んだあとにタモリさんの出演番組(ことさらここ数日の『いいとも』)を見ていると、タモリさんの発言が『タモリ学』に書いてあることと一致していて、なおかつ今回の発言では省かれたところも『タモリ学』が補ってくれるという、なるほど、たしかにこれは問のおもしろさでもあるなあと思った。

特に、これまでのタモリ本ではあまり見かけたなかったけど“タモリ”を考えるうえで相当重要なことでは、と感じたのは第5章「タモリにとって『家族』とは何か」。

タモリは自らの家系をして「中学生程度の学歴では理解できない。高校卒業程度の学力が必要」だと笑う。 

 という前置きや、タモリさんの両親のなれそめ(を説明するタモリさんの口調)などにもニヤつきながらページをめくると出てくる、タモリ家系図。何度か見たはずなのに改めて思わずブハッと噴いた。これは一度見ただけで試験に出されても穴埋めできない。

そして複雑な家系図をますます混沌に引き入れるタモリ一家のエピソードは、タモリさんの若かりし頃のハチャメチャよりもずっとぶっ飛んでる(エピソードの登場人物をたどると、どうやらお母さん側の血が特にファンキーだった模様)。これを読むとタモリさんなんか(なんか、に傍点)地味で慎ましやかなおじさんだなと思えておかしい。いや、人前に出る仕事だから慎ましやかにしてるだけかも。

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読みながら、この、星のように数多に散らばるタモリ文献をまとめあげた『タモリ学』はまるで星座だな、スキマさんはタモリ座を描いたな、とうまいことを思いついて得意げになっていたらこれについてもスキマさん本人がまさに星座技法でブログを書くようになったとその経緯を綴っていて。ハンズカスー。ファンがひらめくことなんて、たいてい本人がとうの昔から思いついているものですよ。しかしそれを「星座技法でおなじみの俺です」などと言ってまわらず読み手に自ずと感じ取らせる筆致。ね。

生きているうちから、すでに歴史上の人物であるかのように、あるいは想像上の人物であるかのように語りに語られているタモリさん。この『タモリ学』の最後に“その人のタモリ観を知ればその人の物の見方や価値観がわかる”とある。そんな鏡のようなタモリさん、に映ったてれびのスキマさんの物の見方や価値観。緻密でブレず根気があって誠実、そして、最高の形でぶちかましてみせる狂気と色気。これからいっそう、てれびのスキマさんの活躍を期待させる本でした。スキマさんみたいな人が活躍すると我々テレビっ子はますますテレビに夢中になるし、テレビを好きなことを誇る。そしたらきっとテレビを作る人たちももっと元気におもしろいテレビを作り出して……。

『いいとも』は終わる。ひとつの時代が終わる。でもバトンが渡るように次の時代もおもしろくなると、たとえばこの本で自信が持てた。だから、大丈夫だ。ね。

タモリ年表

自分用にメモ。“あまりにも長大、詳細すぎて”『タモリ学』への収録を断念したという大タモリ年表。インターネットでも3回に分けてる……。スキマさん、どうかしてるよ!

『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』特別付録 大タモリ年表#1 | Matogrosso

『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』特別付録 大タモリ年表#2 | Matogrosso

『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』特別付録 大タモリ年表#3 | Matogrosso