フォー

夜、実家でごはんをいただく。
米飯、鮭の焼いたの、ホッケの焼いたの、きゅうりのピリ辛漬け、れんこんのピリ辛炒め、豚汁、筑前煮、かぼちゃサラダ、茹でただけのフォー。
今までも何度か実家の食卓のファンキーさを書いてきたけど、69歳にしてまだまだお母さん現役というか、むしろ攻めてるというか、とにかく感動した。
まず2種以上の魚が焼かれるのは我が家では普通のことである。1種だけで登場する場合は、その1種が大量に(1人1尾以上の量で)盛られる。
ピリ辛系が2種あるのも「ピリ辛=うまい」と両親のあいだで定評だからであり(私も好きは好きだが)、母は1日1回は何かしらに鷹の爪を投じているのでこれも馴染みがある。
豚汁と筑前煮。同じ具材を、豚か鶏かに変えて味噌汁にしたのと煮物にしたのと。どちらも我が家の食卓では頻出のメニューだが、同時に並ぶとその具だくさんぶり(と見た目の似っぷり)が圧巻だった。
母のかぼちゃサラダが好きだ。ポテトサラダのかぼちゃ版で、生の玉ねぎの刻んだのとレーズンも入っていて、甘み酸味食感たのしく、しゃれてるよなあと思う。
そして茹でただけのフォーである。米麺だ。米飯があるのに。皿にもっさりと茹でフォーが盛られていて、ただし、つけ汁はない。母いわく「こないだベトナムに行ったとき買ったフォーがなかなか減らないから、あんた(=私)が来たら出してやろうと思ってた」。つけ汁がないことについては「豚汁があるから大丈夫」。
言われるがままに豚汁にフォーをつけて食べてみる。まずくはないが別においしくもない。つけ麺用の汁じゃないし麺じゃないから、麺に味がつかない。純粋にフォーの味がする。
ホッケをつついては米飯を食べ、れんこんのピリ辛炒めをフォーと一緒に口に入れ、鮭をほぐしては米飯とともにほおばり、きゅうりのピリ辛漬けをパリリ、筑前煮のごぼうにフォーを巻き付けて口に運び、豚汁をすすり、パスタ感覚でかぼちゃサラダとフォーを口に含み、といった具合に私は、完全にフォーに気遣いながら食事を遂行した。けして持て余していることを悟られぬよう。「連続して米飯を食べてはいけない」というルールもひそかに自分に課していた。
母ははじめだけ豚汁に数本のフォーを沈めていたが、そのあとは米飯だけを食べていた。父はフォーには手を付けなかった。