DJ!DJ!

帰りの電車の中。昨晩の『深夜の馬鹿力』の録音を聴いていた。
あるコーナーが終わって曲紹介する伊集院さん。「ではリスナーに教えてもらった曲の中から・・・この番組のテーマにぴったりな曲なんですよ、俺のことを歌っているんじゃないかと思うような歌で・・・」なんていう、馬鹿力らしくない前置きで紹介されたのは「ノーナ・リーヴスで、『DJ! DJ! 〜とどかぬ想い〜』」。
びっくりした。びっくりして思わず涙が飛び出した。電車の中だ。でも抑えようとすればするほどなぜか涙が出てくる。
私はすぐに、AMラジオの音質で流れるその歌から歌詞を聞き出すことに全力をかけた。伊集院さんが「俺のことを歌っているんじゃないか」と思ったのはどこなんだろう、って探るために、ひたすら耳に神経を集中させた。そして頭の中で歌詞の意味がつながっていくほどにまた涙が出てくる。
ノーナ・リーヴスの曲は、お友だちが聴いているご縁で、意識をしてない私の耳にもよく入ってくる。この『DJ! DJ!』だって初めて聴いたわけじゃない。流れれば気持ちよくノっていた曲だ。でも、まさか伊集院さんがノーナにつながるとは思わなかったなあ。
耳で『DJ! DJ!』の歌詞をたどる。リスナーがラジオのDJに想いを託し、DJがリスナーに想いを託すという内容。何も新しくない、何も特別じゃない、ずっとそこにある世界が、さわやかに軽快にまっすぐに歌われている。こんなにまっすぐな歌を、冗談も挿まずにまっすぐ「俺のことを歌っているんじゃないか」と伊集院さんが言ったことを噛みしめると、また涙が出た。今まで、何度も聴いて何も考えずにノッていたこの歌が、今日から一音も一文字もこぼせない歌になった。そんな自分が単純すぎて恥ずかしいし、調子良すぎていろんな人に申し訳ない。
それにしてもなんだか、最近の伊集院さんは不意に素直でまいる。「俺のことを歌っているんじゃないか」って39歳が言うのはすごいことだよ。10年以上も彼のひねくれにつきあって、彼のこだわりをわかったふりしてニヤニヤ笑ってきた身としては、この急なまっすぐさに戸惑うこともあって。
そういえば昨年末のTVブロス爆笑問題との対談だったかな。伊集院さんがこんな話をしていた。

趣味の自転車やジョギングをしながらiPodで曲を聞いているが、苦しくて追い込まれている状況やランナーズハイの状態で聞く曲には「今の俺のための曲なんじゃないか」と運命を感じることがある。
人にはそれぞれそういう運命を感じる曲があるだろうから「リスナーから"思い入れのある曲"を募集して流したら面白いんじゃないか」と提案したら、スタッフに「それって単なるリクエスト番組だよね?」と言われた。
今まで、みんながやってることを避けながら面白いことを探してきたつもりなのに、追求した先でもっともベタな手法にたどりついて、今さら新鮮に感動する自分がいる。
結局、王道には王道となった理由があるんだということを、今になってやっと認められるようになった。

いま手元に掲載誌がなく、これはすべて3ヶ月前に1度読んだきりの記憶と印象だけで書いているので元の文とだいぶ違っているかもしれない。でもそこで伊集院さんは「ずっと否定していたメジャーを、ようやく受け入れられるようになった」と言っていたのはたしかで、私がその対談を読んでいたのはやっぱり会社帰りの電車の中で、そこを読んだとたん、やっぱり私はなぜか泣けてしかたがなかった。
曲からCMに入り、CMから明けて伊集院さんは、まだ『DJ! DJ!』のことを話している。えらくこの歌にハマっているらしく、「もう、めちゃめちゃ・・・(ノーナ・リーヴスは)わかって作ってると思うんだけどね。・・・いい歌紹介してもらった」「この曲聴いてると、浪人生が自分の部屋でひとりでDJごっこやってる画が浮かぶ」「この曲のそういうイメージを詰めて、コーナーにしたい」などとまだ興奮が続いているようだった。そっか、コーナーへ広がるほど刺激されたのか。
DJはそうやっていつも無邪気に還そうとする。
私はこうやっていつも来週に続いていく。