「ホワイトフェア」のメニューがほんとうに真っ白

 朝8時すぎ、夫が帰ってきた。とても酒くさい。仕事の忘年会で朝まで飲んでいたのだ。ぬるめのお茶をマグカップ一杯飲ませて寝かせる。寝床にたちまち酒の匂いが充満して、空気清浄機がぶおーとはりきりだす。布団の中で夫がむにゃむにゃと言っているので「なんて?」と2度ききなおすと、駅弁を買ってきました、とはっきりと言って、すうっと寝た。
 なんだ寝言か、と呆れてマグカップを戻しに台所に行くと、箱状のなにかが入った白いビニール袋が食卓に置かれており、中を覗くと駅弁がふたつ重ねられていた。朝7時18分に東京駅でそれらを買ったことがわかるレシートも入っていた。夫が飲んでいたはずの駅から自宅最寄駅に来るまでどうやってみても東京駅を経由するはずがないので、何があったか知らないが、ぶじに帰ってきたことをことさら安堵した。駅弁ふたつは違う種類で、上段の弁当にはいくらと鮭の写真が包み紙に印刷されている。うまそうだ。昭和中期の漫画、たとえば『サザエさん』などに酔ったダンナが折詰もって帰ってくる、という定型描写があるが、よもや平成最後の年の瀬にそれを体験できるとは。

 夫が寝ているあいだに花の水切りをしたり、ハナコのライブのチケットを取りにコンビニに出向いたり(なんとか取れたが瞬殺だったそうだ)、帰りに少しポケモンGOをやったりしてるうちに11時になった。腹が鳴ったので帰って寝ている夫に「お弁当たべまーす」と宣言し、起きてくるのを待たずにふたつの弁当をそれぞれ開封する。一方は「こぼれイクラとろサーモン ハラス焼き弁当」、もう一方は「あっちっち松茸すきやき栗ごはん」というものでこれは加熱式だった。加熱用の紐をひっぱる。旅先でなくても駅弁はワクワクする。うまい、うまいと唸りながら食べているとやがて夫も起きてきて駅弁をつつきだした。駅弁のうまさでみるみる目があいていく夫に、何があって東京駅にいたのかとたずねると、乗り換え駅を寝すごして、電車が往復し、やはりまた乗り換え駅を寝すごして、気づいたら東京駅で、何かおみやげが買えるとおもって降りた、とのことだった。

 ふたりで横浜は赤レンガ倉庫へ行き、夫が熱心に応援するのんちゃんのライブを観る。のんちゃんは『エイリアン』を歌う前にLINEモバイルのCM撮影についてふりかえっていた。いわく、監督から撮影の日までに江國香織の小説『デューク』を読んでくるようにと言われ、撮影当日は「主人公の女性を演じるつもりで」「こんどはデューク(=犬)のつもりで」という演出がおこなわれたそうなのだ。歌っているだけのCMだったが、あの不安げで、だが力づよい目と声は、その小説の彼女の解釈なのだろうか。いい話をきいた。

デューク

デューク

 ライブが終わり、クリスマスマーケットにでも寄ろうかと話していたが、濃い霧雨が降っていて、そのおかげもあって屋内の施設は異常に混んでおり、何も見ず何も買わないまま横浜をあとにした。言葉にはしていなかったが、中華街でなにか食べようかとお互い思っていたらしく、帰りの電車で夫がめずらしく、新宿でラーメンみたいなものを食べようか、と言った。夫はなんでも食べるが「○○が食べたい」との希望をめったに言わない人である。ラーメンみたいなものというのはつまりラーメンしかない。新宿三丁目で降り、以前から気になっていた『鈴蘭』に入る。煮干しだしのスープが冷えた体にしみじみとうまかった。
 世界堂に寄り、ボールペンや付箋紙などいま買わなくてもいいものを丹念に物色し、隣のベローチェの「ホワイトフェア」のメニューがほんとうに真っ白であることを二人で感心しながら地元駅に帰る。
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 駅構内では臨時でコージーコーナーが出展しており、クリスマスケーキだけを売っていた。そのガラスケースの前に立ち止まって動かないでいる小学生ぐらいの男の子と、買ってあるのよと手を引く母親、という風景を見てかわいいねと笑って通りすぎる。が、しばらく歩いているうちに夫が、ケーキ屋さんを見ていきたい、と言いだし、自宅から徒歩3分ほどの近さにあるケーキ屋さんを覗いた。きょうまで特にお互いクリスマスケーキの話などしてこなかったのだが、やはり街なかで目にすると食べたくなるようだ。お店にはホールのクリスマスケーキしか並んでおらず、その中から夫は、特にわたしの顔も見ず、これなら食べられるよねとひとりごとのように言って4号のものを買った。砂糖菓子のサンタとリースが載ったオーソドックスな苺のショートケーキだ。

 帰宅して、もうこのあと夕飯も食べなくていいという解放感から各々、いつでも寝られるようシャワーをあび布団にもぐり、テレビを見たりスマホのゲームに勤しんだりし、小腹がすいてきた21時ごろにコーヒーを入れ、ケーキを食べた。派手に主張するようなことはしていないが、生クリームとスポンジが品良く繊細ですごくおいしい、いくらでも食べられる信頼のショートケーキだった。家の近くにこんなおいしいケーキ屋さんがあって、つくづくいいところに住んでいるねえとわたしが悦にいっているあいだに夫はケーキをおかわりしていた。