『もう生まれたくない』刊行記念 長嶋有×穂村弘トーク

もう生まれたくない

もう生まれたくない

  • 7月10日(月)19時 /於 紀伊國屋書店新宿本店8階イベントスペース

白とネイビーの幾何学模様がきれいなシャツとジーンズの穂村さん。黄色い、キン肉マンのサンシャインTシャツにハーフパンツの長嶋さん。
長嶋「ちゃんとした格好の穂村さんを前に、なんて失礼な格好できたんだと思われるでしょうが、これには理由があって……」
会場である紀伊國屋書店の2階で都築響一氏の『捨てられないTシャツ』刊行記念フェアをやっており、それにあわせて着てきたTシャツだ、と。
穂村「僕、以前、(短歌の重鎮の)馬場あき子さんと仕事をしたとき、僕が今日みたいにジーパン履いていたのを馬場さんのファンの方が『けしからん』と思われたようで、僕が選者をしていた朝日歌壇へクレームを短歌にして送ってきた」

お互い年をとった、と老いエピソードを言いあう。
穂村「僕、今日ちょっと喉の調子が悪いので、すみませんがトローチをなめながら話しますね」
長嶋「いいですよ、水もどんどん飲んでください」
穂村「水はね、僕はトイレが近くなったからあまり飲まないようにしてる」
長嶋「僕はすごく水飲むんだよ。こないだ谷崎潤一郎賞の受賞記念で芦屋市の講演に招かれたんだけどさ、開始の10分ぐらい、ずっと、すごく水を飲むことについて話してた」
穂村「年とるとトイレが近くなるっていうけど、あれってつまり、アラートを出すラインが低くなるってことだなとわかった。行きたくなるけど、そんなに出ないんだよね」
長嶋「こないだ句会でとしまえんに行ったんだけど、入場券買おうとしたら『50歳以上は半額です』って案内されちゃってさあ(長嶋さんは現在44歳)。あまりにショックで、その後の作句にぜんぜん身が入らなかったな」

僕はマヤです

穂村「二人が出会って1回めか2回めのとき、飲み会で長嶋さんが『穂村さんは亜弓で、僕はマヤです』って言いにきたのが今でも忘れられない」
長嶋「それは僕が言い出したんじゃなくて、川上弘美さんが言ったのを僕が穂村さんに伝えにいったの。恒信風(長嶋さんが在籍していたしていた俳句同人集団)メンバーは『ガラスの仮面』でいうと誰かって話になって、川上さんいわく、僕がマヤだと。それで月影先生は川上さんで」
穂村「『ガラスの仮面』読んだことないけど、月影先生は川上さんだね」
長嶋「で、亜弓がいないってなったときに、当時、交流のあった かばんの会(穂村さんが在籍していた歌人集団)の穂村さんがその亜弓なんじゃないかって言ってて。それを僕が穂村さん本人に伝えにいっただけ」
穂村「そうなんだ。それ知らなかった。その説明なしに、ほとんど初めて話すような状況で突然『穂村さんは亜弓で、僕はマヤです』とだけ言われたから」

小説家・長嶋有の強さ

穂村「学生だった長嶋くんが小説家になって、こうも大成するとは思わなかった。今になって振り返ってみると、彼がここまでになった理由は、彼が"素敵さ"を求めなかったのが大きいんじゃないかと思う」「二十数年前、バブルの余波がある中、みんなはまだキラキラ素敵なものを求めていた。だけど彼はいっさい"素敵さ"を求めようとしなかった。それが、しかし他と一線を画していたといえるのかも」「さいきん小説新人賞の下読みをしている人の話を読んだのだけど、応募の中でもっとも多い傾向は、主人公が、謎めいた夜に、謎めいたバーで、謎めいた誰かと出会い、謎めいたカクテルを飲んで、謎めいた日々が始まり……という、謎めいてばかりいる作品らしい。"謎めく"って、つまり"素敵さ"ですよね。"謎めき"も"素敵さ"もとても脆弱なものだから、それだけでは残りにくい」
長嶋「自分が小説家になれて、続けてこられたのは、若いころ近くに穂村さんや川上さんがいて、その人たちの手つきやふるまいを見ていたからだと思う。ふつうは小説を書こうとするとき、そのやり方を読んできた作品から得るのかもしれないけど、僕は作品以外のところで穂村さんたちから得たものが大きい。"素敵さ"を求めずにいながらも、遠回りせずに済んだのはそのおかげかもしれない」「特に恒信風の穂村弘インタビューは、いま読み返してもアドレナリンがすごく出る。ああいう話を身近な人のこととして聞いてきたからだと」

穂村さんの心配

穂村「有くんが小説家として大成することも予想つかなかったし、(長嶋有ブルボン小林の)2つの名前でうまくやっていけるとも思わなかった。完全に僕が見る目ないってだけなんだけど」
長嶋「僕は2つの筆名を持つことは"フォーマルとカジュアルで使い分ける"ぐらいの感覚で、便利なことだと思ってたんだけど、それを穂村さんは『2つの車を持つようなものじゃない? 車が2台あったら、維持費が倍かかるんじゃない?』と心配してくれた」
穂村名久井直子さんが『百万円たまったら会社をやめ(て装幀家として独立す)る』って言ったときも、僕『百万円たまったぐらいじゃ会社やめられないよ、やっていけないよ』って言ったんだけど、なんにも問題なかった。僕のアドバイスってなんなんだろうな」

ヘンなことをやってやろう

長嶋有のデビュー作『サイドカーに犬』(2001年)に蚊取りマットが出てきて驚いたと穂村さん(穂村さんはトークでは「ベープマット」と呼んでいた)

 男たちは麻雀のジャラジャラの合間合間に声を上げて笑い、ときおり「洋子ちゃん」と呼び立てた。ビールをもってきてもらったり、コーヒーのおかわりをいれてもらったり、蚊取りマットを投げてもらったりした。呼ばれた洋子さんは特に嫌な顔もせずに、ぱっぱっとそれらの頼まれ事を片づけてしまった。

サイドカーに犬』(猛スピードで母は (文春文庫) 収録)

長嶋「あれは、要は隣の部屋から投げて渡すってことを書きたかったの。蚊取り線香じゃ(折れやすいから)投げられないし、ノーマットのボトルは投げるにはなかなか重いし。ベープマットのマットだけが投げて渡せる*1
穂村「有くんに『ベープマットは普遍性がないんじゃない』って言ったら、『だから書くんだよ』と。普遍性のある蚊取り線香でもなく、(書いてる当時の)最新の現実であるノーマットでもなく、ベープマットを選ぶというところが、"素敵さ"や"謎めき"にいかない長嶋有なんだと思う」「そういう長嶋有が、でも『もう生まれたくない』の蕗山フキ子だけは素敵にしてるのが……」
長嶋「どこが素敵なの」
穂村「犯罪に手を染める人が子どもに紙風船をあげるなんて、すごく素敵だよ! ベープマットに悪いと思わないのか」
長嶋「いや、ベープマットにそこまで思い入れないから……。蕗山フキ子のところは、漫画のつもりで書いた。その漫画っぽさが素敵に見えるのかな。しかしベープマットみたいなことをそこまで褒めてくれるのは穂村さんだけだよ。他の人はもっと、大きく褒める」
穂村「みんな自覚してないだけで(ベープマットみたいなことは)ボディブローのように効いてると思う」
長嶋「そうなのかな……。でも小説の中で、蕗山フキ子だけ漫画っぽくするとか、ヘンなことやろうという欲はあるかな。次も書いてくださいといわれるうちは、ヘンなことを小説の中でやっていきたい。むしろ真正面からヘンだと指をさしてほしい気持ちがある。柴崎友香さんも相当ヘンなことやってるからね。頭から血を流している人がしゃべり続けてたり」「2メートルの壁を飛び越えるのって、実際には無理じゃない? でも小説ならできる。あと何回ボール投げられるかわからないけど、ドサクサで、小説でできるヘンなことをやってやろうっていう欲はすごくある」「今月でる『小説 - BOC - 6』にもね、蕗山フキ子の漫画と小説を同時に載せたりしてるんだよ」

精度の高いリアリティ

穂村「長嶋さんのリアリティの精度は非常に高い。近代文学におけるそれらの比にならない」
長嶋「そうなの?(←嬉しそう)」
穂村「"ジェンガはフィクションの中でやっているようだ"とか、"ウィスキーをつぐ音の豊潤さは自分なんかが出した音ではないみたい"とか」

「なんか、フィクションの中の遊びみたいだったな、ジェンガって」
「うん、ほうね」もぐもぐしながら相槌を続ける。テレビゲームに詳しいからって、そういう「アフタースキー」のゲームにまで精通していたわけではないらしい。
「なんか、生命保険の話をするときの相槌が、そのときだけ生命保険のコマーシャルの中の人みたいになっちゃうみたいに、ジェンガのときは『ジェンガになっちゃう』って感じがした……」

 良い音。ウィスキーがボトルのすぼまった口からでる音は独特に豊潤なもので、自分なんかが出したのではないみたい。散らかりきった六畳間にもそぐわない音だ。

もう生まれたくない

長嶋「そういうことってない? たとえば僕も穂村さんも北海道暮らし経験してるじゃない。北海道って土地が広大だから、高層ビルを建てる必要がなくて、空が広いでしょ? それで、今日はいいことなかったなあ、冴えないなあっていうときに歩いていると空がやたらと広くて、そこまでしてくれなくていい!……って思わない?」
穂村「うん……。でもこの、"ジェンガはフィクションの中で遊んでいるようだ"とかってさ、本当にそうだと思うんだけど、海外の人に伝わるのかな」
長嶋「そうね、日本人だけが感じるものかもしれない、と」
穂村「"声優が死ぬといろんな人物が一気に死ぬ"なんて、志賀直哉は書いてないよ」
長嶋「声優という職業がある時代に生きてないからね」
穂村「俳優もさ、生きてるうちにいろんな役をやるけど、生身で演じているぶん、本人が死ぬことで"たくさんの人物が一気に死ぬ"とまでは思わないじゃない。でも"声優が死ぬ"だと、それはつまり、あの人もあの人も、って複数の人物が並ぶ」「こんなにもバージョンアップされたリアリティが、ローカルの域を出られないというのはなあ……」
長嶋「まあ別に海外の人にも伝えたくて書いてるわけじゃないから。甲本ヒロトはさあ、アメリカでツアーこそすれ、日本語でしか歌ってないんだよ。ドリカムとかチャゲアスとか、(英詞の歌で)海外進出を目指したミュージシャンたちがことごとくふるわなかった中で、甲本ヒロトは日本語でしか歌わないけど、それがすごくかっこいいじゃない。だから甲本ヒロトにあやかって、ね」

非感動の誠実さ

穂村「人体を殴る音を知りたいと思うのとかも、リアリティへの執着がすごいなあって」
長嶋「そういうノイズは、でも、手癖で書けちゃうんだよなあ。手癖で書ける、とは言いつつ、でもそれで小説になってますかね」
穂村「いや、すごく小説だよ。"人が死ぬとは何か"を書くにあたって、ジェンガとかを使わなければ同義反復になる。命と感動のセットというのは本当に最悪で、でもこの小説は、ギリギリ感動に踏み込ませないようにしてる。"非感動の誠実"さというのかな。これがないと、この帯(『もう生まれたくない』の帯をさして)に書いてあるみたいな同義反復を起こしてしまう*2」「そうやって感動に踏み込ませないようにはしているけど、でも"生"とか"死"とかっていうテーマを書くようになったよね」
長嶋「やっぱり震災かなあ」「デビュー作の『サイドカーに犬』が『文學界』に載った年の9月11日、ニューヨークのテロが起こったのね。ビルに飛行機がつっこむ映像を見て、大変なことになった、自分の小説が本にならないままそれどころではなくなるかもしれないとまで思ったんだけど。でもその後しばらくして、ある批評家が、この頃に出てきた僕や柴崎友香さんや吉田修一さんを挙げて『あのテロを深刻に受け止めようとせず、気の抜けた小説を書いている』みたいなことを書いてたの。それを知って、ぜったい深刻になんかなるもんか! と決めてたのね」「とはいえニューヨークのテロは、恐ろしかったけど、自分は映像でしか見てない。2011年の震災は自分も揺れの中にいた。深刻な人も気の抜けたような人も、等しく「すごく揺れた」。そのことで"生"や"死"を書こうと思ったのかも」

現実への愛着

穂村「『もう生まれたくない』は書き出しもすばらしいよね」

空母の中に郵便局がある。

穂村「ここにつづいていくのが現実というのがすごい。僕もこのはじめの1行を思いついて書くことはできるかもしれないけど、2行めが書けない。"海にはキリンがいる"とかって(幻想的に)つづけてしまうだろうな。長嶋さんには現実への愛着がある。僕は現実に背を向けようとするから」
長嶋「穂村さんには背を向けようとする意志のみなぎりを感じるけどね」

人物の名前

穂村「(『もう生まれたくない』登場人物の)名前には何か意味があるの」
長嶋「なんだろう……蕗山フキ子は不謹慎(フキンシン)だからで……素成夫は素直だからだしなあ。それくらいで、登場人物にはあんまり思い入れがないなあ。書いているとき、(人物の仮名として)shiftキー押しながらシャープ(#)さん、ドル($)さん、パーセント(%)さん……って順につけていくぐらい思い入れがない。書き進めていくうちに%さんと#さんを同じ人にするってこともあるしね。人名をぜんぶアルファベットにしたこともある*3
穂村「佐藤や田中でもいいと」
長嶋「いや、佐藤や田中は(絶対数が多いゆえに)逆に何かを意味する記号みたいに思えちゃうんで、今回の小野とかぐらいなら」
穂村「僕は、そういう(実在しそうな)人名をつけていくのってできないんだよな。(実在しそうな人名をつかうのは)世界の似姿を踏み外さずに書く、という契約書にサインしているようで」
長嶋「……穂村さん、20年前の酒場で、今とまったく同じ話してたよ。あのときも穂村さんが"2行めが書けない"って言って、こんな話になったんだよ」

(おわり)

 * * *

どうして書くの?―穂村弘対談集』における長嶋有×穂村弘対談も、今回のお話に重なるところがあっておもしろいのでおすすめです。

*1:この「なぜ蚊取りマットか」は『電化製品列伝』(文庫『電化文学列伝 (講談社文庫)』)のあとがきでも本人が書いている。このあとがきは、固有名詞を作品に登場させることへの見解が詳しく書かれている。

*2:帯には「何でもない人生のかけがえなさを描く感動作」などと書かれている

*3:祝福』(文庫 祝福 (河出文庫) )表題作