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土鍋と重曹

 帰宅したらまず、土鍋に湯を沸かす。
 数日前、Twitter能町みね子さんが「暖房をいれても部屋が寒い」とつぶやいていたところに「鍋でお湯を炊くとあたたまります」とリプライした人がいたようで、それを能町さんが「え??それだけで???」と非公式RTしていたのが目にとまった。
 我が家も、よくいえば通気性のいい家で、暖房がなかなかきかない。特に玄関から台所にかけては通気孔と窓があり、窓には雨戸もなくカーテンもつけられないタイプなので、その付近がスースーする。昨年3月にここに越してきて、このたびが初めて迎える冬だった。
 居間はドアさえ閉めればすぐ暖まるとしても、やはり台所が寒い。寒いと台所に立ちたくなく、料理をするのも皿を洗うのもコーヒーを入れるのすら億劫になる。台所にホットカーペットをひいたりヒーターを買い足したりしてマシにはなったが、使用電気量ほどの満足感が得られない。そのように、自宅の寒さに対してどんよりとあきらめていたところに見かけた「鍋でお湯を炊くとあたたまります」だった。
 翌日、仕事から帰宅してすぐ、コートを着たまま台所で土鍋に水をはり火にかけてから奥の部屋に進んでコートを脱ぎ服を着がえた。火をつけているからテレビの前で座りこむのはやめ、すぐ台所に戻った。まだ湯は沸いていないが火がついているだけでも暖かい気がする。流しに置いていった朝食の皿を洗うところから炊事を始めていると、まもなく湯はぐらぐらと煮たった。気のせいでなく暖かくなってきたし、湯気に包まれて神経がゆるむ。これはいい。無計画に沸かした土鍋の湯でスパゲティを茹でることにして、となりのコンロで残り野菜をアンチョビとニンニクで炒めてスパゲティにからめ、その日の夕飯とした。以来、土鍋の湯があると思うと、毎日の夕刻に胸にむくむくと現れる、寒い台所で炊事することへの気の重さはなくなった。土鍋をつかう前提で献立を考えるのも楽しい。まずは鍋。ポトフ。茹で野菜とか、うどんでもラーメンでも、とにかく土鍋で湯を沸かす目的になればいい。帰宅後すぐに火をつけるのも炊事に勢いがついてよかった。

 ある日、帰りの電車の中で、土鍋で米を炊けばもっと暖かくなるのではないかとひらめいた。そんな情報をどこかから聞いたわけでもないが、なんとなく米の粘性が、より濃い暖かさを、より長く部屋に留めておくような気がしたのだ。あんかけがただの汁よりも熱く、より長く熱を保っている(気がする)のと同じ理論で。
 帰宅して、研いだ米を土鍋に入れて水をはる。……あっ。米を浸水させているあいだ、土鍋は火にかけられない。ぬかった。寒い。より濃い暖かさを得るために束の間でも土鍋の湯沸かしを待たなければならないのなら、[暖かさの濃度]×[暖かい台所に立てる時間]としたとき、結局は炊飯で得る暖かさも単に湯を沸かして得る暖かさも同等なのではないか。だとしたらコンロを一口ふさいでいるぶんだけ土鍋炊飯のほうが不利である。そも、炊飯のほうが暖かさが濃いとはどういう理論か。己のひらめきを責めながら、あわてて片手鍋のレミパンプラスに水をはり火にかけ、少しでも湯沸かし炊事ルーチンに戻ろうとした。すっかり湯沸かし教の信者だ。
 土鍋炊飯は、鍋底のほうを焦がしてしまった。軽はずみに暖かさをよくばった戒めだろう。夕飯を終え、土鍋の焦げとりに臨むが、スポンジでどれだけこすろうとスポンジが炭に黒く染まるばかりで真っ黒なでこぼこはまるで減らない。ネットで「土鍋 焦げ」と検索すると「重曹を使うべし」と出てくる。やはり重曹なのだな……と神妙になる。
 べつに重曹につらい思い出があるわけではないのだが、数年前に西加奈子さんがなにかの場で「掃除でも炊事でも、たいてい『重曹をつかえ』って言われるやんか。また重曹や! それは知っとんねん! ってなるわ」と興奮気味に言っていたのが忘れられない(どういう場面での発言だったかはさっぱり覚えていない)。西さんがなぜあんなに興奮していたのか、重曹がなぜだめなのか、いや、だめとは言っていなかったが、でもなぜ重曹のススメを素直に受け入れられないような口ぶりだったのか、前後の文脈も思い出せずまったくわからないのだが、でもその発言だけがあざやかで忘れられない。もしかしたら夢かもしれない。いずれにしても、その後なにかで「重曹を」と見かけるとわたしの耳に「また重曹や!」と西さんの声が聞こえるようになった。そしてやがて、重曹に頼るのはなんだか負け、という謎の意識がわたしの中に芽生えていった。
 しかしあのときの西さんには悪いが、重曹でなければ今わたしの目の前にあるこの問題は解消されない。流しの下の、洗剤ストックなどを置いているあたりをざっと見やるが、西さんの声に貞淑を誓ってきたおかげで近年は重曹を使っておらず、ここに引っ越してきた時もどこかにしまった記憶がない。やはりこの家に重曹はないのだろう。……ほんとうに重曹以外に方法はないのか、土鍋の焦げ落としには、と食い下がってさらに調べる。酢を使う方法もあるようだが、それは焦げついた食材によるとのこと。野菜やキノコはアルカリ性なので酸性の酢が効くが、酸性の米飯にはアルカリ性重曹なのだそうだ。酸性とかアルカリ性とか科学を持ちこまれて、いよいよ逃げ場がない。「炊飯のほうが暖かさが濃いはず」とかいってつきすすんでいた頃がなつかしい。もう、どう調べても重曹一択である。重曹を小さじ2いれた水を沸かすだけでアラ簡単! だが重曹をつかわなければたちまち目はかすみ鼻がきかなくなりなにを言っても家族友人らにことごく誤解され孤独のなか近づいてきた輩にカネを騙しとられる人生となるであろう、と検索の先々で説得された。
 時計を見るともうすぐ21時。商店街のドラッグストアが閉まる。ほぼ寝まきといえる格好をしていたが、観念して着がえ、コートを着こみ、外に出る。わたしの決意のようにシリウスの光が強い。
 寒さに歯を食いしばって最寄りのドラッグストアに駆けこむと、重曹は1kg袋でしか置いていなかった。こんなにいらないんだよ、と一瞬ひるむが、他の店を見てまわる時間もないし、手ぶらで帰ってもまた鍋底の焦げの瘴気にあてられるだけである。土鍋のおかげでせっかく台所に立つのが楽しい冬の夜がつづいていたのに、こんなつまらないことでまた台所が遠のくのか? 新年からそんなことでいいのか? わたしは1kg袋をつかんで会計をし歯を食いしばって帰宅、コートのまま焦げた土鍋に水をはり重曹を小さじ2入れて火にかけ、それからコートを脱いだ。
 湯がぐらぐらと沸きだし、火を止める。これで冷ませば焦げが浮いてくるのらしい。ついに一歩を踏みだしたことと、火と湯気で暖まった部屋にほっとしてわたしは、湯の中で、まだ熱がある鍋肌から噴きつづける気泡や、はがれてきた焦げがゆらゆら揺れるのをしばらく眺めていた。やがて土鍋は素手でさわれるほどになり、湯を流し、シリコンのへらで焦げを軽くこそいでみる。するり。ひとなでで鍋底はつるつるに戻った。ほんとうに、重曹一択なのだった。

 西さんの「また重曹や!」をなんの話の中で聞いたのか、それが現実だったのかすらも定かではないが、あれからずっと、その言葉に打たれた気になって、重曹と、それにまつわる家事を、無意識に自分から遠ざける口実にしていたのかもしれない。西さんを慕うことと、西さんの(本意がわからない、ひょっとすると夢で聞いた)言葉に翻弄されることはまったくべつだ。とにかくこれでまた明日から土鍋で料理ができるし、土鍋炊飯にも気軽に挑戦できる。慣れて焦げつかすことがなくなるまで、何度でもかんたんに焦げを落とせる。
 西さんは重曹を、つかっているだろうか。西さんでなくとも、わたしのようによくわからないきっかけで重曹に抵抗を持ち、それでいま台所周りに苦労している人がいるとしたら伝えたい。重曹では解決できなこともあるかもしれないが、重曹が役立つところなら期待以上にあなたを助ける。だからどうか重曹を気安くそばに置いておいてほしい。