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バイアブランカの地層と少女(『これからお祈りにいきます』所収)

これからお祈りにいきます

これからお祈りにいきます

 京都嵐山に住む、寺社好きな大学生男子の作朗が主人公。家族や地元への不満で日々イラついていた『サイガサマのウィッカーマン』の主人公とは打って変わって、こっちの主人公は天災や金のなさや己の鈍くささへの不安で日々をこわごわ生きている。
 作朗は高校時代、ひそかに思いを寄せていた女の子に「作朗くんの家の下には活断層がある」と言われ、その言葉が好意的でない(=恋は成就しない)と受け取り失恋。また、活断層とかいわれて家屋の安全も不眠に陥るほど心配になり母親にしつこく耐震補強を提案するも、自分ら子どもたちの教育費が優先だと返され、これまた気に病む。大学生になり、そもそも付き合えたこと自体が奇跡のようなかわいい女の子に堂々と浮気されあっさりフラれる。そんな、ザ・うだつが上がらぬ男子大学生(“ジ・うだつ〜”というべきか)の作朗が、自分とは対照的でグイグイな性格に思える友人エンドーのすすめで外国人向けの京都コミュニティサイトに出入りするようになり、そこで1人のアルゼンチンの女性・ファナとメールのやりとりをすることに。自分の周りにいる女子の考えてることはよくわからんくて悩まされてばかりなのに、地球の裏側にいるファナの日々の心配事には共感する作朗。しだいに自分が飛行機が怖いことも忘れてファナの住むアルゼンチンに興味を持つようになる。
 病的に心配性な作朗の、その心配事の多さ細かさのUZEEEEE!!具合がとても面白かった。そしてその彼の気の弱さと、小柄な体型(と、おそらくまあまあな顔立ち)が親しみやすいのか、鈍くさいわりに女の子らが彼の周りをうろつく様子もよく描かれている。“女の人はよく、さして関係も深くないはずの自分へ、急に独白のような身の上話や失恋話を聞かせてくる。そしてだいたい次の日にはけろっとして、ややもすると自分にそっけなくしたりする”という事象が作朗には解せないというくだりがあって、なぜかここで、じわっと涙が出た(ですよねー、と女として反省したのだろうか)。津村さんも女なのに、これが男にとって奇異なこととして取り出せるのすごいなあ。
 だけど作朗がもうちょっと肉を食べてれば近づいてくる女の子たちに対して調子にのれたんじゃないかなー、と思わせる加減も好かった。草食系男子、という今ちょうど“言うのが恥ずかしい時期”を迎えてる言葉があるけれど、下宿生活の作朗は実際、節約のために安い野菜だけを入れた味噌汁をすすりながら玄米ごはんを食べる本当の草食で、それが君がラブチャンスを逃してきた一因だよ……と思いましたね。やっぱり肉は食べないといけないんだなあ。自分の食費を切り詰めてでも実家に負担をかけないようにするまじめさ、友人エンドーの円形脱毛のために御髪神社へ通うやさしさ、寺社好きという渋さ、ガイドブックの肉料理写真に魅せられてアルゼンチン行きの意志を高める素直さなんか、傍から見てるとかわいくていい子なんだけどね。
 そんな頼りない作朗に、しかしついにわかりやすいラブチャンスが到来して、これはもう利き手じゃないほうの手でだって掴めそうなほどのチャンス。なのに作朗は、突然、それをふいにする。まだ会ったこともない、お互いカタコトの英語のメールでしかやりとりしたことのない、地球の裏側にいるファナ、の彼氏、のために。読んでて正直、えっ、作朗いつのまにそんなにファナへの思いを高めていたの?と驚いたけど、たぶん、互いにカタコト英語で易しく丁寧に自分の事情や気持ちを述べあっていたファナに対しては目の前の恋なんかよりずっと信頼できる感情が育ってて、それを選んでしまう作朗というのが、とてもだめで、ぶれなくて、ばかだな、いい奴だな、青春め、とニヤニヤしたかったのにどうしてか嗚咽していた。そのシーンは職場の休憩席で読んでいたので止まらない涙を隠すのが大変だった。
 帰宅して、Twitterを覗くとSAKEROCKのベストアルバム『SAKEROCKの季節』発売のニュースが出ていた。アルバムのトレーラーを再生する。曲はバナナマンのライブテーマとして作られた『Emerald Music』。

 『Emerald Music』の高速マリンバを聴き、SAKEROCKの若かりし頃を眺めていたら、いま読んできた作朗たちのことを思い出した。いろいろ投げ打って走り出し、長い坂を駆け上がり、道すがら(こちらも恋が原因かいつのまにか疎遠になっていた)友人エンドーを拾い、男子大学生2人が清涼寺の法輪をなんたらかんたら叫びながら全力で回しにかかって、地球の裏側の知らない関係ない誰かの幸せを、祈る、祈る、祈る。家なので、今度こそ、ぞんぶんに声を出して泣いた。とても気持ちがよかった。
 『バイブランカの地層と少女』というタイトルは、『サイガサマのウィッカーマン』と同じく「そのまますぎるし、言い得てないし……なんかもっとうまいタイトルなかったの」と思わせる絶妙な野暮ったさなのだけど、2つの作品を読み終えてみて、本を閉じると表紙に『これからお祈りにいきます』。これがめちゃくちゃかっこいいのだ。それぞれのタイトルの無骨さ不器用さは各作品の男子ら自身で、そういう未熟な彼らが、損得なしに自分ではない誰かを強く思い願うということを崇高でなく描いてるところがじつにいい。八百万の神がいる、日本の人だから書ける読める小説なんじゃないかしら。


→併録『サイガサマのウィッカーマン』感想

  • 2017/2/13 追記:文庫本が出ていました。