『冷たい十字路』(『婚礼、葬礼、その他』所収)

 とある地下鉄駅に面した交差点における自転車衝突事故。事故の当事者“以外”の人々の日々と思惑。

 通勤路の憂鬱から始まる書き出しに、おなじみの勤め人ユーモア小説なのかと思ったら、なんだか様子が違う。その交差点は駅の出入り口であり、小学校と2つの高校の通学路でもあり、それぞれの年齢のそれぞれの職業の人たちが毎朝「自分がいちばん急いでいる」と思い込んでいる。そのエゴの競い合いの中でもっとも猛威を振るうのが高校生の自転車通学群であった。そしてある朝、高校生同士の派手な衝突事故が起こる。交差点は赤黒く染まった。
 事故を目撃したOL、その交差点を通学路としている小学校に勤める教師、その小学校に通う子を持つ母親、その娘、通学路としている高校の一方の生徒会……と、それぞれ事故の当事者以外の人々だけを映す。事故に対する人々のうろたえや苛立ち、事故が起こって然るべき環境を放置している市や学校、といった社会的な問題を描くようでいて、事故を見たひと聞いたひとたちの日常と胸に去来する思いをスポイトでたらすようにぽつ、ぽつと描く。その水滴がくっついて、じわあ、と街と人が立体化していくのがおもしろかった。
 それぞれのエゴをねちねちと書いているのが津村さんだなあ、とニマニマするつもりで読み進めていたのに、いつまでも誰もおどけない。はじめから曇天で、晴れ間が来ず、ざあっと降りだすこともなく、ただただ降りだす直前の破裂しそうな気圧の低さが続くような。
 文体が、これまで読んできた津村小説に比べて堅く余裕がなさそうなのも気になり、読み途中で初出を確認すると《『文學界』2007年6月号》とある。デビューして2年経った頃だが、わたしが読んできた津村小説の中では初期のほうなので、それらの違和感をわたしは「未熟な筆致」と思うことにして読み続けた。が、そういうわけではなかった。
 この作品の最後の一文を読み終えて、次のページに「解 説」と書かれているのを見て続く文がもうないことに気づき、思わず「うわー、すげえ」と声が出てしまった。かっけえ。小説だと、こういうこともできるんだな、していいんだな、と。でもこれ、多作なユーモア作家としてわたしの信頼を築いている津村さんだから、『婚礼、葬礼、その他』のドタバタコメディのあとだから緩急の差でおもしろがれたところもある。女教師・ミドリバシの過去のそれは津村小説では珍しく湿度が高いなあ、とか。
 ところで登場人物の名前でイマイチという名前が出てくるんだけど、なんで津村さんこの名前にしたんだろう。その前にイマザトという人も出てきて、それから副詞の「いまいち」も使われてて、すこし混乱した。その混乱を狙ったのかな。

 そして阿呆みたいなこと書きますが、心の底から「徒歩でも自転車でも道を行くときは注意しよう」と思いましたね。わたしはたいていイヤホンしながら歩いてるんですけど、この小説読み終えた直後の外出では、iPodを習慣でバッグに入れて、出して、靴棚に置いて玄関を出ました。道を歩いているときも行き交う人々の交通態度をじっと見てしまったり。つくづく影響うけやすい。

追記

登場人物の名前はどれも地名(交差点名)だよ、と教わりました。大阪市東部の地下鉄今里筋線のあたりだそうです。ひゃー、なんだかサスペンスっぽさ高まる!