サイガサマのウィッカーマン(『これからお祈りにいきます』所収)

これからお祈りにいきます

これからお祈りにいきます

 これまた面白かった。
 主人公の高校生男子が抱く家族や地元への苛立ちから物語は始まり、めくってもめくっても不機嫌なページに、はじめのうちはウームウームと口を歪めて読んでいた。でも、思いがけない(彼の興味の範囲外の)人と過ごすことで、少しずつ主人公の世界の面積が広がっていくのを見て「いい子じゃないかよ……」と心を温めるおばちゃん(=私)でありましたね。……って、感想として述べると超ありきたりな作品に受け取られそうで不甲斐ないんだけど、この、津村さんの描く"不機嫌がほどけていく様子"が私はとにかく好きみたいだな。数作読んで「津村作品は自分好みだ」という実績があるから耐えられた不機嫌さでもある。
 弟や母や父や地元の風習に嫌気を起こしつつ、束の間だけど一緒に苦労に立ち会ったバイト先の大人たちや、話す機会がたまたま続いた同学年の女子を思うことが増えていく17歳の主人公。あの人の疲れや、あの人の懸案もなくせないで、何が神様だ、と地元の祭りにベソをかくように悪態つく主人公の、自分ではない誰かの事情にも胸をざわつかせるようになっていく成長の描写が、とても良かった。あと、17歳の主人公が、思春期の繊細さの一方で、目の前の炭水化物(解せないバイトでもらった賃金で食べるジェノベーゼ、軽蔑する母が作った山盛りナポリタン、疎ましく思う地元の祭りのどて焼きうどん)には惜しみなく「うまい」と機嫌を良くするところが可愛くて、彼や物語に希望を感じた。
 読み終えてみると、単行本のトビラが厚手の金色の紙だったり、見返しがポップな和紙っぽかったりするのが、サイガサマへの申告物の材料に思えてきた。
 読んでいる最中は小説のタイトルが『サイガサマのウィッカーマン』だという意識は薄くて(本の表紙には『これからお祈りにいきます』とあるから)、読み終えたいま「はて、ウィッカーマンとはなんぞや」と調べてみると、あまりにもサイガサマの祭りの説明そのまますぎて、これは「サイガサマのウィッカーマン(仮)」なのでは、と改題の余地を感じ首をかしげつつ、もしこれが音楽のアルバム『これからお祈りにいきます』だとしたら「サイガサマのウィッカーマン」という曲名はしっくりくるかもな、とよくわからない納得もありつつ。
 高校生男子が主人公の作品だけど、主人公がバイト中に1度だけ会話する妊婦の、ほんの数行のエピソードが津村小説でおなじみの、という感じで、ちょっと違うけど手塚治虫のスター・システムを思ったりもした。私は津村小説はまだ4冊しか読んでいないが、時が経っても、題材を変えても、こういう事情の隣人は常にいるからねという"津村記久子小説"の烙印のようでもある。



→併録『バイアブランカの地層と少女』感想

  • 2017/2/13 追記:文庫本が出ていました。