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バヤシの世界ができている

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世界は言葉でできている』がゴールデンに移動してから数週経ったが、深夜に録画を見ていても違和感を覚えなくなった。ゴールデンの初回だったか、話題のスポーツ選手から名言を引き出そうとするイカニモ・ゴールデンなコーナーが現れて「まあ、そうか……」と思った記憶があるが、それきりあのコーナーを見ていないし、MCも回を重ねるごとに落ち着いてきたように思う。ゴールデンMCの高島さん、天才かつ仕事熱心で素晴らしく、弱いボールも逸れたボールも恐ろしいほどに拾って投げ返すので、これまた天才かつ手を抜かない佐野アナと並ぶとMC2人が達者すぎて(主宰のキョンキョンやコトバスター陣があまりグイグイ来ないというのもデキる2人を目立たせて)、録画を深夜視聴している私は少し胸をざわつかせていたのだった。でも最新回を見たところ、2人とも番組の雰囲気に合う穏やかさになっていたので、やっぱり頭のいい人たちなんだなーと惚れ直した。
それにつけてもバヤシちゃんだ。オードリーの若林さん。若林さん、と書くとこそばゆいので以後もバヤシちゃんと書く。
毎回彼が生み出す言葉だけ、他のコトバスターと様子が違う。なんというかこう、確立されゆく若林ワールドが、しかし常に新しい。他のコトバスターたちもそれぞれの世界に手触りを感じるが、バヤシちゃんは唯一のレギュラーという環境もあってか、構築している世界の、さらに洗練を感じる。なかなか彼の攻撃に慣れず、胸を打たれてばかりだ。
たとえば12日放送の1題め、永六輔さんの言葉「生きているということは《   》こと 生きていくということは《   》こと」*1の穴埋めで、

生きているということは《神様が決めた》こと 生きていくということは《自分が決めた》こと   矢作兼
生きているということは《とてもすばらしい》こと 生きていくということは《とてもつらい》こと   板尾創路
生きているということは《涙を流す》こと 生きていくということは《涙を拭く》こと   徳井義実

などの言葉が並ぶ中(この3つもじつに泣かせる)、バヤシちゃんは

生きているということは《心臓が動いている》こと 生きていくということは《ドキドキする》こと   若林正恭

と出してきた。私はテレビの前で「ひゃあ」と声が出てしまった。アヤパン落ち着いたとか偉そうに言いながら自分が一番やかましい。
うまく言えないが、ほかの人たちは、1つめと2つめに埋めた言葉が見事な対になっていたり、無数の喜怒哀楽を経てきた厚みが感じられて、大人が言う“名言”だ。ところがバヤシちゃんのは、朴訥にひとつの現象を言い換えただけのようで、視点と表現の幼さにまずたじろぐ。そして次の瞬間、胸に光が灯る熱や、世界の広がる音と風が迫ってくる。その、受け手に起動させる仕掛けとエネルギーが、名言というより、詩のようだと興奮した*2。YOUさんのコメントのとおり「《ドキドキする》って言われて、私もドキドキしました」。
関根さんは「永六輔さんの言葉に比べると若林くんの言葉は軽く感じる。でもその軽さが今の時代には必要なのかも。だから彼を平成の永六輔と呼びたい」と言っていて、後半のコメントに関根さんらしい優しさとユーモアがあるものの、あの“軽さ”を拾ったのが関根さんの鋭さだなあ。でもあれは“時代が求める軽さ”ではないと思う。借りをつくる返すに人生の重みがあるというなら、心臓が動くドキドキするはこれから始まる人の身軽さだ。「生きる」という、すでに重めの言葉に透明感を出す若林正恭の才能。
ぐねぐねと書いているうちに思い出してきたが、バヤシちゃんの言葉は谷川俊太郎さんの、まさに『生きる』のような新緑の匂いがする。若林正恭は「平成の永六輔」と呼ぶより「平成の谷川俊太郎」と呼びたい。いや永さんも谷川さんもどちらも平成24年12月現在しっかり現役ですし、バヤシちゃんはバヤシちゃんとして確立しているので、呼ばないです。

*1:「生きているということは《誰かに借りをつくる》こと 生きていくということは《その借りを返していく》こと」永六輔

*2:名言は結果で詩は手段なので並べられるものではないが