読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

太田さん、麻布おでん

日記

休日。前日まで7連勤、きょう休んだら明日からは9連勤なのでしっかり休もう、と朝に決意。忙しかった先週末を挿んだからか、体じゅうがうっすらと筋肉痛になっている。外は風が強くて寒そうで、行こうと思っていた銀行手続きや秋物クリーニングのためだけに出る勇気がなかった。決意どおりダラダラとすごす。
TLで話題だった『探検バクモン』いじめ特集の録画を見て、そのあとてれびのスキマさんのコラムを読んだ。

 この手のテレビ番組などで行われるいじめの討論では、多くの場合、出席者のいじめられた体験ばかりが語られる。しかし、先の特徴でも分析されているように、いじめられた人のほとんども、いじめた経験はあるはずだ。しかし、それが語られることは少ない。それこそ、いじめられたことは本人にとって深刻な問題であるが、いじめたことは大した問題ではない、といういじめの性質そのものだと思う。そういう意味において、黒人のハーフの少年がその容貌から「ボブ」と呼ばれ嫌だったという告白をした時、「俺、絶対言っちゃいそー!」と悪者を引き受ける太田の言葉は、ほかの人たちの言葉よりも胸に迫ってくるのだ。
「笑いは、いじめそのもの」NHK『探検バクモン』が探求する、いじめ問題-日刊サイゾー

私も番組を見ながら「あ、太田さん“いじめる側”を引き受けてる」と気づいて驚いていた。この役は爆笑問題太田光じゃないとできない役なんじゃないか。引き受ける強さも太田さんらしいが、じゃあ実際に太田さん自身がいじめる側になってきたかといえば、彼の芸風やエピソードを思うと、そうではない気がする(本当のことは知らない)。たしかに太田さんは田中さん含め近しい人に愛情余って理不尽な攻撃をしているのをよく見聞きするが、太田さんのその行為に周りが同調する様子があまりない(太田さんから団体芸は生まれないし、太田さんのギャグは流行らない)。いつも太田さん1人の悪ふざけで、太田さん1人が悪者として、田中さんがむくれたり周りの大人たちが太田さんを叱ったりする(のが可笑しい)。あれだけ売れてて面白いのに、周りをおもねらせない力が太田光にはある。だから『探検バクモン』で太田さんが「俺、絶対言っちゃいそー!」と言い放ったとき、(いじめの発端となる)“ふざけたい気持ち”だけが純粋に見えて、その気持ちが湧くこと自体は否定できないな、とちゃんと思えた。
いじめのことを思うときに浮かぶ作品が3つある。山田詠美風葬の教室』、松本人志『遺書』、それとテレビ番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』だ。
風葬の教室』はまさにそういう話で、主人公が相手を軽蔑することでいじめを克服していくのが痛快だ。『遺書』(『松本』のほうだったかもしれない)では「(松本人志を嫌う人がいれば)それはそいつが俺を嫌いなんじゃない、俺がそいつに好かれようとしてないだけだ」という旨の当時の松ちゃんらしい言葉があった。
『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』では、ある実験をしていた。集団のヒヨコのうち1羽に赤いリボンをつけると、他のヒヨコがいっせいに赤いリボンのヒヨコをつつきはじめたのだ。それを見てムツゴロウさんが「ほら、異質なものを恐れて排除しようとするんですねー」と言う。
この3つとも自分が小学生から中学生の頃に触れたものだが、小学校でも中学校でも理不尽な扱いを受け続けていた自分にとっては(私も都合よく“された側”の記憶しかない)どれもコペルニクス的転回であった。特に赤いリボンのヒヨコでは「自分は体が大きいからみんなが怖がっているんだな。みんなも成長すればこの状況は終わる」と思いなおせて、とても励みになった。実際、時間が経ってみるとそうだった。



夜、麻布へおでんを食べに行く。おでんなのでふざけた服で行ったら、麻布らしい格好良い地下の店で、階段を降りながら申し訳ない気持ちになった。どう考えてもおでんより麻布を基準に服を選ぶべきであった。
あまりの寒さに1杯めから(ビール党としては忸怩たる思いで)焼酎のお湯割りを頼む。出てくるおでんはいちいち芸術的で美味しく、家では食べられない、じつに麻布甲斐のあるおでんだった。2杯めまで焼酎お湯割りで、3杯めでやっとビールを飲む。
今月だけでも何度か会っている友人らとのおしゃべりが、この夜もくだらなくて楽しい。2軒めは新宿に移動して、これまた格好良い地下のベルギービール専門店へ入った。穴ぐらのような落ち着く部屋に通され、珍しくて美味しいビールを飲み、再度、どうしようもなくて可笑しい話をしていた。