ちょっとカリブ海のほうに

昼休みに母親から電話があった。
「お母さんですけど、明日からちょっとカリブ海のほうに行くので」との始まり。ちょっとカリブ海のほうに。言ってみたいし、行ってみたい。
電話の用件は、旅行の期間やツアーの内容(聞かされても)といった他愛のないこと、だけだと思って適当に聞いていたら。
「それとね」母は口調を改めた。「ウチの姓を名乗るあなただけに伝えておくんだけど」と前置きして、我々の万が一のときは、みたいなことを言った。「詳しいことはメールで送るから」。
「わかりました」電話口で私も少し改まってみせる。年じゅう旅行している親がそんな話をちゃんとしてくるのはたしか初めてだったので、少し緊張した。そして、彼らの旅行に関わらず、もう私たちはそういう話をしておく/聞いておく歳なんだな、と感傷的にもなる。
だが母は、真昼の遺言に続けて「結局こういう話がしやすいのって独身のあなただからねえ。(嫁いだ)お姉ちゃんたちだとちょっと、大げさになるっていうかさ。《中略》独りのあなたなら…」と、お得意の、余計なことを、言ってきた。母はセンチメンタルを許さない。
「わかったから早くカリブ海行ってきな」と私がさえぎると「はいはい、それじゃあね」と母はあっさり電話を切った。