山田詠美『無銭優雅』

無銭優雅 (幻冬舎文庫)

無銭優雅 (幻冬舎文庫)

面白かった!自分にとって15年ぶりの山田詠美でした。
主人公の女・慈雨は、43歳で独身で実家暮らし。慈雨は同じく43歳のバツイチの男・栄と「心中する前の心持ちで」つきあう。「心中する前の心持ちで」とは、明日死んでも後悔しないぐらい今お互いに最大の愛を注ぎ、最高に楽しく過ごす努力をしようということ。つまり「全力でイチャついていこうよ」と不惑を超えた男女が誓って日々を過ごすのね。このバカップルぶりが「ははあ・・・どこぞも同じようなくっだらない会話してんのな!」と笑えた。歳のいったイチャイチャは、くだらなさまで濃厚で迫力があっていいですね。若い子がイチャつくのとは「くだらなさ」への本気度が違う。あと、お金のない彼らなりに、日々の食事をおいしくいただこうとする姿勢が羨ましい。「明日死んでも」の精神だから、2人で食べるものはすべてが最後の晩餐になるわけだ。
だけど、そのイチャつきのひとつひとつへの慈雨のノロケや言い訳が、いちいち格言めいてるというか能書きたれてるみたいでまたオモロ哀しい。43歳、独身、両親健在なのに実家暮らし、親に借金して自分の店を持ち、生まれも育ちも働く場所も中央線沿線*1という設定が他人事じゃなくて苦笑い。自分を正当化するための語彙や表現が豊富なあたり、それまでの20年近く、周りからヤイヤイ言われてきたのをなんでもないような顔して耐えてきたのだろうなあとか思えて。うーん。
で、全力でイチャつくと誓っても40代には40代相応の、なんでもなくない現実が常にうしろに控えていて、もう「別にいいじゃん、自分の生きたいように生きたって。誰にも迷惑かけてないじゃん」という論が成り立たないことに主人公がやっと気づいていくのが小説のもうひとつのオモシロどころ。や、「成り立たないなんて知らなかったー!」という本当のバカなんじゃなくて、知ってたんだけど気づかないふりしてた、そうじゃないと自分の存在が正当化できないから、けどもう知らないふりができない立場になってしまった、という感じなのかな。こういうのも成長っていうんだろうか。
主人公がこんな状況なのに不思議とイラつかずに読めたのは、それこそ格言めいてる慈雨論が良かったからでしょうか。

人の考える頼り甲斐と、私にとってのそれは決定的に違っているのだ。体が大きいことや経済力があることなどに安心を感じるなんて有り得ない。それは、ただの便利だろう。たとえば、私の伝えようとする言葉を正確に受け取ってくれる人に出会った時。頼りになるなあ、と目頭が熱くなる。

いい小説でした。満足。

*1:舞台は西荻窪三鷹の3駅間から外に出ない