小松政夫とイッセー尾形の今だから創れる「百戦錬磨の人生ドラマ」

  • 2/11(日)14:00〜
  • 於 THEATRE1010

千住公演も今年で3回目のイッセーさん、今年は小松さんとともに。イッセーさんいわく「台本は・・・あるにはあるのですが、あえて台本をはじめから頼らずに(笑)」という状態の、スジだけあってほとんど二人のアドリブのステージ。
小松さんとイッセーさんのアドリブステージを観るのはもう何度目か、なんだけれども、うーん、好みの問題というか、心の広さの問題かな、いつもところどころで「芸歴を過信するなヨー」と思ってしまう。アドリブの楽しさと不安定さは紙一重なんだろうし、不安定からミラクルが生まれることもわかってるんだけど、二人が把握している設定やヒト・モノの名称が食い違ってたり、あらかじめ決まっている歌の部分で練習不足と思われるような走りが出てしまったりするのは、どうなんだろう小松さん。でも観客がそれさえもうれしそうに笑っていたからあれはあれでいいのかなあ。小松さんの取りこぼしを(私が舞台で見慣れている)イッセーさんが拾って立て直して決めるから、よけいに小松さんへの心細さが残ってしまったりして。小松さん、大好きなんだけどねえ。
役者や芸人がイッセーさんの一人芝居を観て、「やってみたい」「できそう」と思うのはわかる気がする。これまで何人かが「イッセー尾形さんのステージに触発されて・・・」といって自分でもソロステージを実現したのを生であり映像であり観ることがあったけど、どれも、「やってミマシタ(照)」といったふうで、観客に甘えているように見えた。年中ステージに立ち続けているイッセーさんが、研究と練習を重ねて臨んだうえにボルテージを振り切ったところで生まれるアドリブだから震えるほど面白いんであって、「未完成ですが、経験もありますのでアドリブで補えると思います」は、驕りというか、お金を払って足を運ぶ人がいるという認識が薄いように感じる。昨日の客は今日来ないし、今日の客は明日来ないのが前提なんだから、ステージの熟度はともかく、初日から楽日まで同じ代金分の面白さは保証するつもりでステージを作らなくちゃよろしくないんじゃないかと思うよ。
終演後のイッセーさんの「アンケートはすべて参考にさせていただいてますので、書いてくださるとうれしいです」の言葉は、いつだってただの挨拶ではないんだろう。
まあでもそんなこと思いつつ(北千住まで行って疲れたのかな・・・)おおむね今回も楽しみました。二人が学ラン着て各時代の歌謡曲を織り交ぜながら男の友情を描いたネタは非常に贅沢だったなあ。特にイッセーさんのメガネ+ギター+学ラン姿がたまりませんでしたよ。のちにそのメガネは老眼鏡だと聞いて、いっそう嬉しくなりましたよ。