The Giving Tree

還暦を迎えてから英会話を始めた母(61)から、さきほど「次の授業で使う絵本があるんだけど、自分の解釈に不安があるから訳してほしい」と呼ばれたので、実家に行ってきました。この絵本でした。

The Giving Tree

The Giving Tree

この絵、この内容、私もどこかで読んだことがあるなー、と思いながら、ページをめくって、高校卒業以来英語に触れていない私が*1たどたどしく母に読み聞かせてきました。

ある1本の木と、ある坊やの話。
小さかった坊やは、彼女(木)に登ったり、彼女になったリンゴを食べたり、彼女の枝をゆすって遊んだり、彼女の葉で王冠をつくって王さまごっこをしたり、彼女の陰で眠ったりして、毎日毎日、彼女の愛を全身で受け止めていた。坊やもまた彼女を全身で愛していた。
しかし時は経ち、坊やがしばらく来なくなった。 そして久しぶりに彼女のもとに現れた坊やは成長していた。 彼女が「おいで、登って遊んでいって」と言うも、坊やは「僕はもう、大きくなったから木登りなんかしないよ。それより僕、買いたいものがあるんだ。でもお金を持ってないんだ。君、僕にお金をくれないか?」。「ごめんなさい、私はお金を持っていないの。でも私になってるリンゴを街で売れば、あなたにお金が入るわ」と、彼女は坊やに自分のリンゴを持っていかせた。それで彼女は幸せだった。
また時が経ち、そのあいだも坊やはしばらく来なかった。 そして久しぶりに彼女のもとに現れた坊やは、もっと大人になっていた。 彼女が「おいで、登って遊んでいって」と言うも、坊やは「僕はもう、忙しすぎて木登りなんかしていられないよ。それより僕は家がほしいんだ。妻もほしい、子どももほしい、だから僕には家が必要なんだよ。君、僕に家をくれないか?」。「ごめんなさい、私の家はこの森だから、あなたにあげられる家はないの。でも私の枝を使えば家を建てられるわ」と、彼女は坊やに自分の枝を切って持っていかせた。それで彼女は幸せだった。
時は経ち、坊やはしばらく来なかった。 そして久しぶりに彼女のもとに現れた坊やは年をとっていた。 彼女が「おいで、登って遊んでいって」と言うも、坊やは「僕はもう、疲れすぎて木登りなんかできないよ。それより僕は、ここを離れてどこか遠くへ旅に出たい。君、僕にボートをくれないか?」。「ごめんなさい、私はボートを持っていないの。でも私の幹を切ればボートにできる。そうすればあなたは旅に出られる」と、彼女は坊やに自分の幹を切って持っていかせた。それで彼女は幸せだった。
時が経って、しばらく来なかった坊やが彼女の前に現れた。坊やは老いていた。 彼女は「ごめんなさい、リンゴがなくて・・・・・・」と言った。すると坊やは「僕はもう歯が弱ってリンゴは食べれないよ」。 「ごめんなさい、枝がなくて・・・・・・」「僕はもう枝をゆすって遊ぶ歳でもないよ」「ごめんなさい、幹もないの・・・・・・」「僕はもう、木登りできるほど元気じゃない」。  そして坊やは言った。「僕はもう、疲れた。だから、ただ、座って休みたいだけなんだ」 切り株となった彼女は言った。「それなら、私に座って休みなさい」 坊やは、そうした。

それで彼女は、幸せだった。

いまは自宅に帰ってきたので手元に絵本はないのですが、こういう内容でした。
ぽつりぽつりと単語を拾って呼んでいるうちに、母も、私も、泣いてしまっていました。

*1:大学では英語は必須科目ではありませんでした