日々を歌って乗りこえる

 わたしも『ひよっこ』が毎日たのしみだ*1。評判をきいて放送開始2週めあたりから見はじめた。
 『ひよっこ』は歌がたくさん出てくる。当時の流行歌によって時代背景を描く手法でもあるのだろうけれど、ただ流すのではなく、登場人物の彼らが歌う。父親が出稼ぎに戻ってしまって家族がしずむなか口ずさむ『ひょっこりひょうたん島』。向島電機のコーラス部。寮生活の銭湯帰り。すずふり亭の裏庭で。調理場でひとり無意識に。600人前の赤飯をつめながら。普通の人々が、日々を歌って乗りこえている。
 なにで読んだのだったか、いつかの時代のどこかの土地で奴隷たちに歌を禁じていたが、禁じるのをやめてからは彼らの平均寿命が10年のびたという話があった。最近ちらちらとそれを思い起こす。近年、よくJASRACのふるまいに関するクレイジーな話を聞くし(このはてなダイアリーはてなブログでも、歌詞を掲載したブログは非公開アカウントに切り替えられたりしているそうだ)、Twitterでは「そのうち鼻唄からも使用料とられるのでは」といった冗談も流れてきたりしていたが、今年の春にはついに「ボブ・ディランの歌詞を引用した大学入学式の式辞のWeb掲載に対して」使用料を請求したというニュースが出て、あ、鼻唄に請求がいくのも時間の問題だ、と思ったらおそろしくなった。歌を解禁して寿命がのびるのであれば、すなわち自由に歌えなくすることは人々の命を削るに等しい。
 『ひよっこ』の彼らが(わたしたちが)、つらい気持ちと向き合いながら、あるいは労働のあいまに歌を口にしていくことは、食事や睡眠と並んで生きていくために不可欠な営みなのだ。すずふり亭のヒデがソースの仕込みのときだけ『君といつまでも』を歌っている、ということに本人は自覚がなかったという場面は、見ていて涙が出てきた。いつまでも自由気ままに歌える国であってほしい。

 ところで、歌はたくさん出てくるドラマだが、先週(第13週)〜今週(第14週)の大テーマとなっているビートルズの楽曲だけはいっさい流れない。原曲も出ないし登場人物たちも歌わない。歌わないどころか、たとえば『イエスタデイ』は歌の内容だけ説明して、歌詞じたいには触れない。このビートルズ楽曲への触れなさはきっと多くの人が気づいていて、7月4日の『爆笑問題カーボーイ』で太田さんも言及していた。ビートルズの映像はつかってるのに、そこにビートルズの曲が流れないのが違和感だ、ドラマのDVD化も見越した権利の問題かもしれないがそれにしても、と。わたしも太田さんの話を聞く前から、このドラマがビートルズの楽曲を使わないと決めている感じの姿勢に気づいてはいたし、版権的に……ということも詳しくないくせに頭をよぎったが、むしろその状況を、攻めた演出として使ってるのではないかと思いながら見ている。当時の日本の流行歌に比べて、ビートルズの歌なんて2017年のテレビから聞こえてこなくても視聴者の脳のなかでなにかしら自動的にかかるだろうし、「ビートルズ人気がとにかくすごい」という描写を丁寧に丁寧に見せられながらその楽曲は聞こえてこないことで、視聴者のビートルズへの渇望感も高まる、という寸法なんではないか。ドラマ『最高の離婚』で語られたJUDY AND MARY『クラシック』もそうだったように、その楽曲の話をしながらその楽曲じたいは流さないという手法はかえって強烈な印象がつくように思う。

*1:peatさんのエントリを読んだ勢いでこれを書いているので「わたしも」からはじめる